カテゴリー
未分類

世田谷・目黒の神社・寺院

東京都内の寺社といえば、国内外の方もすぐに名前を挙げる有名なところがいくつかあります。一方、今の東京に幕府が置かれた江戸時代を基準にすると、更に遡った時代に創建された非常に歴史のある寺社も多く、逆に第二次世界大戦以降に創建された寺社もあり、何れも地元の方の心の拠り所とされているようです。

日本人は無宗教という一般的な認識があるとします。けれども、特に休日の寺院や神社を訪れると、地元の方(あるいは檀家、氏子の方)が境内でお話されている姿をよく見かけます。地域との繋がりを得る場はいくつもあると思いますが、無宗教と云われる日本人にとっても寺院の境内という素晴らしい場があり、今後様々な形で繋がりの可能性を広げることができるよう積極的にアピールしてもらえればと感じています。

• 世田谷観音

• 大谿山豪徳寺

• 熊野神社(自由が丘)

戻る

カテゴリー
未分類

学校 − のようなもの

日本においても小学校、中学校での義務教育と呼ばれている学校制度があります。それにほぼ引続くように高校や大学、大学院がありますが、今、学校年度の9月スタートについて議論されています。新年度の4月以降、授業が殆どできなかった現状の打開策として、当事者の生徒、学生の負担と習得内容や格差を考慮した上で、またとない機会として学校年度を9月スタートに変更する-という動きについては、単刀直入に反対です。近年の日本の政権に対する批判として、1週間先のことだけを考え、中長期的な展望が見えないということが云われていると認識しています。確かに従前から議論されている学校年度の9月スタートであり、移行する動機としては十分に理解できることから「好機」と云えるのかも知れません。しかし、その動機である今回の新型コロナウイルス禍のような出来事が二度と起こらないという前提でないと成り立たないのではないでしょうか。また、他国の運用に合わせられる、という考え方も背景にありますが、少なくとも今回の新型コロナウイルス禍は全世界的な出来事であり、日本での学校年度を変えようとする考え方が世界的な考え方になった場合、日本で云われる「他国の運用」といわれる内容が現状のままではなくなる可能性を含んでいるということだと考えています。更に、現在の日本の法律で決められている小学校、中学校、あるいは以降の学校について、インターネットを使った学校のようなものも含め、高校、大学といった現在の常識とは異なるシステム、あるいは各学年全員が一斉スタート、一斉ゴールではないシステムが構築される可能性もあります。そのようなシステムを経た人材がとてつもない成果(一つの価値観として全世界のヒトが享受できる多大な恩恵)をもたらした時(すでに実例が多くあるのかも知れませんが)、現在の常識が更に変わってゆくのかも知れません。きっと、こらから先数年間、あるいは数十年は今までにないスピードで価値観が変わるような気がしています。そのようなことを考えると、日本の入学式は?-という問いに対して、今のままサクラサク季節、日本の入学試験は?-という問いに対して、運により大雪に見舞われることもあるという想い出を共有できる文化を持ったままの方が幸せですし、自分たちの足下をベースにして今後の変化の方向性をしっかり考えて行けるのではないかと思います。

戻る

カテゴリー
未分類

ヒトが動くということ、動かないということ

ヒト各々の趣味としての旅行であったり、業務上の打合せであったり、あるいは文化交流としてヒトが動くということが当たり前のようにして促進されてきました。東海道新幹線には1,300人以上が一度に乗車できるとのこと、空には旅客機毎に300~500人が大陸を跨いで移動できるだけのインフラが整備されてきました。ところが、今回の新型コロナウイルス禍により、個々人による移動の自粛に加えて国家間での出入国制限が掛かったことにより、個人旅行であれ業務であれ、既に他国に移動しているヒトにとっては自国に帰れなくなる事態が発生し、これから海外に向かうことを考えた場合にも、再び自国に戻れる保証が無くなったことなどにより、日本国内でも外国の方を見かける極端に少ない状況になりました。

幸いなことに、現代においては、インターネットという新幹線や旅客機とは異質のインフラが普及していました。ヒトは動かないが、離れた地域間での情報交換ができ、高価な通信料がイメージされる以前のテレビ電話と同じ機能でさえ無料で提供されている時代になっていました。新型コロナウイルス禍に伴う日本国内での外出自粛や緊急事態宣言の下において、新幹線や旅客機を使う対面の交流よりもウェブを介した会話や会議が優勢となる新しい時代が始まった機運を感じるようになりました。

一方、対面の日常会話などによる情報交換が極端に減ってしまった弊害についても必ず存在するように思われます。こちらに関しては、今後数か月掛けて検証されてゆくことになると思います。ただ、現時点においても多くの方が感じている一つの事柄があります。それは、ライブ、コンサート、スポーツ、イベント、テーマパーク。同じ空間で同じものを見て、聞いて、各々が共感し、違うことを感じるという場が現時点において中断されていることについては引続き注視しておくべきことと感じています。

学校 – のようなもの

戻る

カテゴリー
未分類

随想ー1年を振返って

「地域の良いところが知りたい!」を書き始めて早1年が経とうとしています。香港での大規模デモに出会ったことがきっかけでしたが、たった1年の間に様々な再起を意識させる出来事が起こりました。首里城の火災のニュースに驚き、瞬時に喪失感を感じつつ、様々な対応が議論されたこともつい最近のことでした。新型コロナウイルス禍については、当初、武漢という初めて耳にする大都市の出来事としてニュースで知りました。それが、あっという間に日本に留まらず、全世界の生活様式を変えてしまうような出来事として、期せずして多分世界中の人たちが知ることとなりました。この感染症については今後の動静も見定まらず、引続きヒトの知恵を試される期間が続くことになります。このような時期、楽しみとしている各地域訪問の思いを抑えつつ、思い当たることを書いてみます。

• ヒトが動くということ、動かないということ

• 学校 − のようなもの

戻る

カテゴリー
未分類

新潟県中越地方の文化

アルペンスキーワールドカップ2020にいがた湯沢苗場大会2月22日~23日は一部の競技が天候不良になり中止になったということですが、湯沢町の冬はスキー客で賑わう地域です。また、米どころ、酒どころの新潟県の中でも南魚沼市の八海醸造では高級なビールやウイスキーも手掛けられ、数種類あるライディーンビールの中でもホップが効いた IPA を美味しく頂きました。この地方ではへぎそばも有名です。布のりをつなぎにした滑らかなそばですが、へぎそばの名称はそばではなく長方形の木製の器に由来しています。ざるそばなどは小ぶりの円形の器に一人前盛り付けられるのが一般的ですが、「へぎ」は30x20 ㎝超もあり、越後湯沢駅前の中野屋さんでは2人前からの注文になっていました。また、読売新聞日曜版で最近紹介された、魚沼市にある赤城山西福寺(せきじょうざんさいふくじ)を目指すと、道案内などは一切なく民家もまばらな道程の先に「開山堂」が静かに佇んでいました。堂内外に幕末の名匠とされる石川雲蝶の彫刻、絵画や漆喰細工が溢れており、特に開山堂の天井や欄間には道元禅師を題材にした作品が多く、静かに大変有難く拝観することができました。人ごみに塗れない、山間部ならではの独自であり崇高な産業、文化が育まれているのを感じることができました。

西福寺にて 右本堂 左開山堂
戻る
カテゴリー
未分類

地勢による気候の違い

先月、関越自動車道で東京から魚沼群湯沢町に移動しました。上里サービスエリア(埼玉県内)で見つけた「群馬のお土産:かいこの一生」です。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」川端康成著の「雪国」の書き出しは余りに有名です。谷川岳を貫くトンネルとして、「雪国」のトンネルは1931年開通の上越線の清水トンネル、上越新幹線が通るのは大清水トンネル、今回我々が自家用車で通った関越自動車道のトンネルは関越トンネル、10 ㎞超の関越トンネルは2015年まで道路のトンネルとしては国内最長でした。今年は降雪が少なく、3月には平地では積雪装備は全く必要ないと思って出発しました。群馬県側から前方の一部の山頂近くに積雪が見られます。高速道路自体の標高が次第に上がりますので周囲の山の標高が分かりにくくなり、積雪が高さの指標になるかと思いつつ「危険物積載車両ここで出よ」の表示を横目に見ながら、とうとう関越トンネルに入りました。小説にあるように、道路を走りながらもその長さを感じているうちに遂に出口に。高速道路には勿論残雪はありませんが、周囲の一般道の周囲には普通に雪が残っています。現代においても「雪国」の中にある気候の違いを実感しました。

湯沢町歴史民俗資料館の1フロアには、「雪国」に纏わる様々な資料が展示されています。
戻る
カテゴリー
未分類

上野国と越後国の国境

現代においては鉄道や道路が発展して国境(くにざかい)を意識する機会が少なくなっています。東京を起点とすると、上越新幹線や関越自動車道を利用することにより、例えば東海道新幹線や東名高速道路で移動する距離感と同じように新潟方面に移動することができるようになっています。しかし、三国山脈が横たわり、かつて他の地域との物流は江戸方面ではなく内航海運(北前船きたまえぶね)によるものが主体でした。その寄港港が新潟であり、長岡であったことから、豪雪地帯である山間部を通る街道筋が栄えるヒト、モノの動きは多くはありませんでした。一方、農業が盛んで、美味しい米ができる地勢、気候に恵まれて現代の魚沼産コシヒカリに至っていると云われています。

戻る
カテゴリー
未分類

初春の上越紀行

群馬県にあたる上野国(こうずけのくに)と新潟県の本州部分、越後国(えちごのくに)の一部にあたる、魚沼市、南魚沼市、南魚沼郡湯沢町にかけて、上越沿線を初春の気配を求めて歩いてきました。現在の新潟県は上越、中越、下越、佐渡の4つの地方に分けられ、長岡市を中心とし南方に魚沼市などがある中越地方、新潟市を含む北東部は下越(かえつ)地方です。かつての上方に近い上越市を中心とする南西部が上越地方になりますが、今回のタイトルにある上越は、上野国と越後国の二つの国を合わせて名づけられた上越新幹線や関越自動車道が通る沿線地域を指します。新潟県内における地域としては上越地方ではなく中越地方になります。

• 上野国と越後国の国境

• 地勢による気候の違い

• 新潟県中越地方の文化

戻る
カテゴリー
未分類

まとめ

江戸後期から明治時代にかけての沖縄と北海道の状況を思い起こしたいと思います。僅か百と数十年前のことです。1945年に第二次世界大戦が終わり、1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は樺太、千島列島、台湾に対するすべての権利を放棄して国境線が決まりました(但し、現代の日本においても領土問題は続いており、単純に解決できることでもないようです)。領有権という言葉を意識した時、先ずは戦争をしないことを再確認したいと思います。また、日本列島は多様であること、伝統的な言語や文化が沢山存在すること、こちらも簡単なことではなさそうですが、各地域の独自性を活かしてゆくために、今からでも出来ること、これからすべきことを合わせて考えたいと思います。

戻る
カテゴリー
未分類

中央政治と地域の独自性

先月17日の朝日新聞天声人語では、近代化とオーストラリアの先住民、そしてアイヌの言語や文化の破壊について言及されていました。第162回直木賞受賞作、川越宗一さんの熱源では、北海道石狩地方で生き抜こうとする樺太アイヌの実体、あるいは当時の樺太の様子がダイナミックに描かれています。大作であるがゆえに、読み手により様々な角度で理解され、考えさせられる面があるように感じました。現在の日本は、概ね民主主義国家で自由に物事を考え、発言することが許されています。他者にも寛容でいられる余裕もある一方、格差社会に向かっているとの見方もありますが、概ね各自が平和な均一社会に生きている感覚の中にいる気がしています。現代において、小説に描かれているような状況を体験することは難しいと思います。想像の中で、新たに発見された地域で暮らすヒトたちが「発見」され、そのヒト達に対して我々は明治時代とは違う対応ができるか考えてみます。少なくとも思慮深く、言語や文化の破壊に繋がらないような配慮したいとの思いはあります。けれども本当にそれは可能なのでしょうか。

近年、日本の経済的排他水域とされる海域での様々なトラブルがニュースになっています。日本のもの、と思っている海産資源が外国船に持ってゆかれるのは愉快ではないと感じます。日本の海上保安庁の船艇により状況が改善されるのを願っていることに気づきます。ここで、同じような状況を国境が曖昧な地域に無理やり当てはめてみます。中央政府はその地域の領有権を主張するために統治しなければなりません。他国に取られてしまいますから。もしもその地域にヒトが居住している場合、コミュニケーションのため、自国のルールを伝えるためには言語について考える必要があります。生活様式が極端に違っていたら、良心のもとで対等の付き合いを目指して文化に介入する可能性もないとは云えません。中央政府から人道的対策と説明を受けると、メイン・アイランドに住む国民の一人としては納得してしまうかも知れません。

まとめ

戻る