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鰻蒲焼

鰻蒲焼(東京都台東区上野2丁目-上野池之端)

上野駅不忍口から5分程度で上野公園の一角にある不忍池に到着します。山の手の東方にあった天然池は、現在は3つ(蓮池、ボート池、鵜の池)に分かれ、広小路側の位置からは蓮池を正面に見ることができます。今回訪れた7月中旬には見事に生い茂った蓮は蕾や花をつけていました。

花は午前中で閉じてしまうということですが、鬱蒼とした蓮の雰囲気がとても心地よく、日傘をさして歩く方、自転車にのる地元の方などを遠目にゆったりとした時間を感じることができます。武蔵野台地から延びる上野台地(上野山)と本郷台地の間にある不忍池ですが、徳川家の菩提寺である寛永寺の建立以降、この地域は上野と呼ばれるようになったとされています。上野はまた、鰻の産地であったとも云われています。

江戸時代中期から、江戸では主に職人さん相手の屋台が広がりましたが、蕎麦、蒲焼、てんぷら、寿司は屋台で提供されるものでした。伊豆榮さんは、徳川八代将軍吉宗公の頃から現在本店のある上野池之端において鰻割烹一筋で来られていうことです。

こちらの鰻は三河一色産のブランド、三河鰻咲を使い、たれは醤油と味醂のみのしっかりとした味で仕上げられています。うな重を頂きましたが、ふっくらとした厚みのある身と皮ともにとても柔らかく、最高の満足感が得られます。薄い皮には焼き目がほんの少し、鰻本来の味わいが全て引き出されている印象でした。またご飯も何というのでしょう、たれで柔らかくなり過ぎないよう表面がつるつるの米の形がそのまま保たれており、独特の炊き方がされているように感じました。江戸時代には鰻蒲焼は一般庶民も食していたとされ、大変贅沢な食文化であると思います。最近、稚魚の数が少なくなり口にできなくなる可能性も囁かれていますが、何とか日本を味を代表する伝統料理の一つとして維持されてゆくことを祈るばかりです。

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佃煮

佃煮(東京都中央区佃1丁目、旧佃島)

徳川家康は、自らが恩を受けた、当時の摂津国西成郡佃村の名主森孫右衛門はじめ漁師を江戸に移住させました。干潟であったところに佃島が築島され、周辺の漁業家も与えられたとのことです。徳川家に献上されていた白魚やその他小魚を生醤油で煮しめて保存食とし、家庭での副食物となっていました。

隅田川に架かる佃大橋。東京オリンピックの昭和39年(1964年)に、それまでの「佃の渡し」が廃止され、更に月島との間をにあった佃川が埋め立てられたため、それまで島であった佃地区は地続きになりました。

佃煮やさんに向かうには地下鉄月島駅で降り、5分から10分程度、古くからの雰囲気のある街並みを歩きます。佃大橋とは対照的な佃小橋のたもと佃公園(佃堀)は釣りを楽しむ方たちの憩いの場になっています。

佃小橋から隅田川の方向に進むと、堤防近くにの何軒かの佃煮屋さんが並んでいます。右を向くと、丸久さんはモダンな建物にされており、お店の前には劇作家の北條秀司さんの句碑があります。

左には昔ながらの店構えの天安さんと田中屋さんが目に入ります。今回は「穴子の佃煮」と幟のある田中屋さんを訪れました。木戸をあけると少し甘い良い香りが店内に広がっています。お醤油の香りとのことです。今回は穴子、あさり、そして椎茸こんぶを購入しました。

他にはえび、あみ、しらす、のりなど様々な佃煮のほか、かつおの角煮、一つだけ白く目を引いたのが、きりいか、少しだけお醤油を入れて飴で作ってあるそうです。

お店の横の路地も趣があります。

佃煮は冷蔵庫で保存するように記載されています。ただ、冷えると材料を問わず硬くなりますので、温かいご飯でしばらく温めておくと、驚くほど柔らかくなってとても美味しく頂けます。

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深大寺そば

深大寺そば(東京都調布市深大寺元町5丁目)

関東地方ではしばしば耳にする深大寺そばですが、その由来には諸説あるようです。水はけの良い土地が蕎麦栽培に適していたこと、良質の湧き水がそば打ちの好条件であったことが起源であり、天台宗総本山の貫主に献上され大変ご称讃されて以降、諸大名などにも評判が広がり、寺の名産として深大寺そばと呼ばれるようになったとも云われています。

深大寺へは最寄りの駅からバスで向かいます。深大寺入口の交差点から東に向かうと、周囲の住宅街とは画された緑豊かな地域に入ってゆきます。

山門までの参道には土産物屋さんや茶店のほか、蕎麦屋さんが何件も並んでいます。正面の山門は深大寺で最も古い建物で、元禄8年(1695年)に建てられました。

左側に元祖嶋田家さん、右側の茶店風のお店にも深大寺そばの幟があります。

深大寺の開創は奈良時代、天平年間とも伝えられていますが、今から約350年前、江戸時代初期の生保3年(1646年)に火災に遭って大半の建造物が消失しました。深大寺そばが名産品になったのはそれ以降の元禄年間のことになります。

大師堂 : 慈恵大師 (元三大師)様が安置されています。

蕎麦は寺の農地で作られていましたが、その農地は譲渡され、昭和36年(1961年)に神代植物公園が開園しました。深大寺への参拝客に加え植物公園への訪問客も増え、そば屋さんも増えたそうです。前述の参道界隈にも老舗の嶋田家さん始め多くのお店が軒を並べますが、深大寺通りと呼ばれるバス通り沿いにも10軒あります。今回は九割蕎麦が評判の「湧水」さんを訪れました。

九割のもりそばを大盛で注文しました。色合いは茶色ではなく、少し緑かかっているようです。一口目はつゆに漬けずに少し頂きます。そばの香りで云われる土の香りを少し感じつつ、とても爽やかなそばだと思いました。つゆは辛めのしっかりしたもので、江戸っ子ではありませんが、自ずと少しだけつけて丁度良い味です。短めに作ってあるようで、多分切りつつ最後になった端っこの部分と思われる部分も少し幅広のまま入れて頂いていて、蕎麦粉を大切にされているのだと想像しながら頂きました。(こんなに美味しいものを一片でも捨てるのは勿体ないですものね。)

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深川めし

深川めし(東京都江東区三好1丁目)

現在の隅田川の河口に程近い江東区佐賀、永代の南方には江戸時代、深川浦と呼ばれる砂洲が広がり、深川の漁師はハマグリ、カキ、バカ貝(アオヤギ)など多くの貝類を収穫していたとのことです。現在、深川めしを提供して下さっているお店の代表格として、地下鉄門前仲町下車の富岡八幡さまの界隈と、地下鉄清澄白河駅近くにも何軒か老舗があります。今回は清澄白河駅近くの、深川宿本店を訪れました。このお店では、深川めしが初めてのお客に対し、漁師が賄い飯として食べていた「ぶっかけ」と、大工が食べていた「炊込み」の両タイプがあると説明されていました。

清住白川駅のA3出口を目指すと、駅構内にある「江東区深川江戸資料館」の案内が目を引きます。

駅から徒歩5分程度で到着する資料館では、1階と地下1階が吹抜けになった展示場に、江戸八百八町の中でも佐賀町における江戸時代の街並みが再現されており、昭和の時代にテレビの時代劇で見た長屋の雰囲気を体感できる場所として大変貴重な資料館だと感じました。因みに当資料館の演出は大変手間の掛かったもので、町屋での猫や鶏の鳴き声のほか、時間毎の明暗や雷鳴などの音響効果、また、実物大の桜や柳の木は季節により装いを変えるとのことです。7月に訪れた際には七夕の笹の演出も施されていました。

その「江東区深川江戸資料館」の丁度向側に深川宿本店があります。店の外にも出汁と味噌の良い香りが漂っています。

小上がりが2卓、椅子席が8席ありますが、新型コロナウイルス対策として、4組までの入店に制限されていました。今回は、元々の発祥とされる「ぶっかけ」を注文しました。

接客の女性が先のお客さんの会計中であったため、調理場で作ってくれていた女将さん自らが深川めしを載せたお盆を運んできてくれました。出汁と味噌の香りが顔の前で一杯に広がります。一緒にきれいに並べられた、お吸い物、煮物、お漬物、デザートの白玉団子の器に比べて、丼鉢がとても深いのが印象的です。「温かいうちに底からしっかりと混ぜてお召し上がり下さい。」漁師めしの流れを汲んでいるのか、ご飯が深い鉢にしっかり入っているので、先ずは味噌出汁、そしてあさりや薬味をしっかりと行きわたらせるということだと分かりました。見た目からの予想通り、ホッとするやさしい「めし」を箸で一口一口味わいながら、時々薄味の煮物や酢味噌の葱、わかめ、浅ぬか漬けなどをつまみながら、一気に頂きました。白く丸々としたあさりも丼一杯のご飯を頂く最後の一口まで丁度良い程度に入っていて、大満足のお昼ご飯でした。

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地域伝統の食文化

地域に伝わる食べ物には、原材料の入手性、政策の影響、保存の必要性、宗教とのつながりなど特有の背景があるものです。現代生活では海外を含め各地から取り寄せられた食材をスーパーマーケットで買って調理し、あるいはファストフード店やコンビニエンスストアにおいても国や地域を超えたメニューや食べ物が並べられ、気づかないうちに食文化がかなり均一化していることを感じます。今回は地域の伝統の食べ物に目を向け、実際に食べてその風味を楽しみつつ、それらの歴史に触れてみました。

• 深川めし

• 深大寺そば

• 佃煮

• 鰻蒲焼

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