カテゴリー
未分類

熊野神社(自由が丘)

目黒区自由が丘1丁目、駅前のロータリーから北に向かってお洒落な商業施設が並ぶ道路を5分程度歩くと、こんもりとした鎮守の杜があります。入口には社号碑と石造りの一の鳥居が、更に進むと二の鳥居と木造の三の鳥居が迎えてくれます。

熊野神社は、かつて「谷畑」といわれた現在の自由が丘、緑が丘一帯の氏神様であり、拝殿は昭和47年に再建されたものですが、朱色の美しい社になっています。

拝殿から渡り廊下で繋がっているのは神楽殿で、秋に催される目黒ばやしは百数十年の歴史を誇るとされています。

拝殿の右手を進むと、江戸時代に建造された境内社の稲荷神社があります。


立派な社殿には龍の彫刻が映えます。更に木鼻には圧巻の獅子の彫刻が施されています。

明治時代以降、大正、昭和にかけて目黒・世田谷の変遷は目覚ましいものでしたが、この熊野神社が現存する地域には、栗山久次郎翁がいらっしゃったということです。

米国のペリー提督が黒船で浦賀沖に来航した頃の生まれの方で、30歳代前半にこの地域の村長になられました。地域の耕地整理事業を進められた他、地名を「自由が丘」とし、発展基盤を築かれたということです。

戻る

カテゴリー
未分類

大谿山豪徳寺

世田谷区豪徳寺2丁目、自動車の行き交う道路から大きく入った閑静な住宅地にあります。

山門の扁額には「碧雲関」とあります。

文明12年(1480年)建立の弘徳院を彦根藩主井伊家が菩提寺と定め、万治2年(1659年)に豪徳寺と改称されました。仏殿は創建当時の建造物の一つです。

井伊家2代藩主の井伊直孝が鷹狩りで当処を訪れた際、住職の愛猫が何と門内に手招きをしたとのことで、そのお陰で藩主は落雷から逃れることができました。その由来により、豪徳寺は招き猫の発祥の地とされ、願い事が叶えられた際に奉納する招福猫児(まねぎねこ)は大小様々なものが用意されています。

三重塔は平成18年(2006年)に建立されました。四方の蟇股(蛙股)には干支(十二支)の彫刻が施されています。

北の方向、中央は「子」、右側は亥、左側は丑なのですが…。

山門の「碧雲関」については、地元の信仰のあつい方のお話を伺うことができました。上述の井伊直孝が猫に手招きされた時には空は紺碧、晴れわたっていましたが、住職のおもてなしを受けている間に雷雲が湧いてきた、まさにその場、その時のことを表しているとのことです。

戻る

カテゴリー
未分類

世田谷観音

世田谷区下馬4丁目にあります。片側一車線のバス通りから住宅街の中に進むと数分で到着です。昭和26年に建立された観音様の入り口には、当時の吉田茂首相による書が門標として掲げられています。

御本尊である聖観世音菩薩(せいかんぜおんぼさつ)が祀られる本堂(観音堂)では見事な欅材一本彫の龍神様が目を引くほか、様々な仏像が各堂に祀られています。各々の堂に特色があり見応えのある境内になっています。



その出で立ちから、一際目をひく阿弥陀堂があります。阿弥陀如来のほか、五百羅漢坐像九体、そして韋駄天尊(神)などが祀られています。韋駄天はスポーツの神、足腰を丈夫にしてくれると記されています。

特攻観音堂:四千六百十五柱の安置所となっています。地域の方だけでなく、広く平和を考える場となればと思います。

屋外にも池の中央の夢違観音(悪い夢を良い夢に変えて下さるとされています)や写真の達磨大師、観音様、(あらゆる動物を救って下さる)馬頭観音などがあり、地域の人たちがお参りされる姿を見かけます。

左から達磨大師、観音様、馬頭観音です。

多羅葉樹: 葉の裏に文字を書いて文通に使ったとされる「葉書」の始まりの木だそうです。

戻る