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村山貯水池(多摩湖)

東京都の水道水源の一つ多摩川水系について調べてみました。多摩川の上流、奥多摩町にある小河内ダム(奥多摩湖)が大元の貯水場所になります。水道原水として青梅市の小作取水堰と羽山氏の羽山取水堰から取水され、自然流下により導水管を経て埼玉県所沢市の山口貯水池(狭山湖)と村山貯水池(多摩湖)の一旦貯水、その後東村山浄水場など都内数か所の浄水場にて上水処置をして水道水として供給されています。

東京都水道局 東村山浄水場 正面入口

11月の多摩湖は紅葉時期で、小さな子供連れの家族などで程よく賑わっていました。多摩湖の取水塔は、レンガの土台、タイル張りの壁面にはアーチ窓が配され、屋根は青銅のドーム型になっており、日本一美しいとも評されています。ゆったりと眺めていると、外国に旅してきたのかのような気分にもさせてくれました。

村山下貯水場(多摩湖)の第一貯水塔

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江戸の水源

東京都港区にある東京メトロ溜池山王駅近くに上水源としても利用されていた「溜池」があったことは良く知られています。当時の河川を堰き止めて造られました。溜池交差点から赤坂交差点手前までの外堀通りになっていますが、不忍池と並んで大変風光明媚なところであったと云われています。竹内正浩氏著「地図と愉しむ東京歴史散歩地形篇」(中公新書)によりますと、江戸城(現在の皇居)の内濠もダム湖であり、現在の御所がある一帯の高地を中心とする地形の高低差により内濠に水の流れがあることが記されています。JR御茶ノ水駅の横には渓谷をつくる神田川が流れ、起伏に富んだ江戸中心部(現在の都心)には豊かな湧水による池も多数存在しました。港区にある六本木ヒルズの毛利池の下には、以前に一帯を所有していたニッカウヰスキーのニッカ池が保存されており、自生する蓴菜がみられたとも云われています。

都心から武蔵野台地に視野を広げると、神田川の水源池は井の頭池で、神田川の旧名は神田上水、やはり江戸の大切な水源でした。東京都内の水道は現在、利根川・荒川水系から80%近く、多摩川水系から20%程度供給されています。昭和時代の前半までは多摩川水系が中心でしたが、江戸の六上水の一つである玉川上水に端を発しています。現在の東京の水源は、江戸時代の上水設備から時代に対応して進化してきており、世界に誇る大都市を支えています。ただ、一つ心に留めおきたいのは、都市化に伴い道路の舗装などが進み、井の頭池を含む江戸時代の湧水は、殆ど枯渇してしまっている(現在の池の水はポンプで汲み上げている)ことです。江戸時代には崖崩れや洪水など水害にも悩まされていましたから、勿論、治水を含めて前に進むことは大切です。一方、先を見通した視野を持って前進する必要性については、地球を取り巻く県境問題と共通するものと考えられます。

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地域の生活用水

今月に入って各地で紅葉の風景が見られるようになりました。近所にある樹木からも美しい季節の移り変わりを感じることができますが、テレビなどで古都の寺社や山間部の名所からの芸術的な映像を見ていると、自然と気持ちが身近な風景とは違ったところに広がってゆくのを感じます。山や川の風景を想像しているうちに、今回は紅葉狩りを兼ねて、地域の生活用水について考えてみることにしました。

村山貯水池(多摩湖)の堤体から東村山市方面を望む。

産業の主体が農業や漁業の地域は集落単位の生活で成り立ち、生活用水は近くに河川や湖沼などの地表水と呼ばれるもの、あるいは井戸から地下水を取って生活用水にしてきました。一方、工業の進展による産業構造の変化や生活の都市化に伴い、生活の主体は比較的大きな河川など水源のあるところに集中し始め、次第に上水道の対策がなされることになります。各地域の水道は水源を中心とした地理的な事情により様々に発展してきました。

その歴史は、大規模な発展としては主に明治時代以降の行政対策によるものと考えられます。例えば京都市の水源である琵琶湖疎水は1885年(明治18年)の着工、名古屋や知多半島地域の水源である愛知用水は1957年(昭和32年)の着工とのことです。一方、1600年頃に始まった徳川家康による江戸の都市化においては、当初から上水対策への取組みが始まったとされています。歴史を振り返りながら、現在の生活用水にゆかりのある近場の施設を訪ねてみました。

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