令和の若い方には馴染みが薄いかと思いますが、昭和の時代の日本のテレビでは水戸黄門や大岡越前など時代劇が、ハリウッドの映画では西部劇が席巻していました。現代の旅の足といえば、近場ではバスや鉄道、遠方目指す時には客船や飛行機を利用するのが当たり前になっていますが、時代劇で男女が旅に出る際には、男女ともに笠と脚絆をまとい、女性は杖を持つというのが一定のイメージでした。西部劇では登場人物がカウボーイ、ガンマン、保安官など趣が違うことに加えて、旅に出る場面が限られていることもありますが、広大な大地を徒歩で移動することは想定されていません。皆さん、颯爽と馬に乗っています。
江戸時代の職業といえば、お侍や十手を持った岡っ引と呼ばれた警察官など地域を治めた人たち、農業により人々の食と藩の財政を支えた人たち、衣や住を支えた職人さんや大工さん、個人的には堺の商人に代表されると考えている、輸送船を抱えて国内の物流だけでなく海外文化の導入したと考えられる人たちの仕事が思い浮かびます。更に想いを馳せると、街道を駆け抜ける飛脚と呼ばれる人たちもいました。ふと不思議に思われませんか?時代における各国の文化、風俗であることに違いはないのですが、西洋の人たちは馬に乗って颯爽と、日本人はなぜトコトコ歩き、馬ではなく人間が走ったのか‥。
東京都品川区に物流博物館というところがあります。以前は日本通運の企業博物館であったとのことですが、現在は財団により運営され一般入館もできる施設になっています。
物流の歴史についての展示があり、飛脚についても言及されています。その資料によると、最も速いとされた公務専用の継飛脚と呼ばれる人たちは、江戸から大阪まで昼夜60時間で走ったとされています。また、江戸時代を遡った戦国時代においては、武将が乗る馬が一頭ではなく、馬が疲れた時の代替が用意されていたとも聞きます。江戸時代の民間の町飛脚と呼ばれる人たちは馬で荷物などの輸送も請負っていたようですが、やはり予備の馬を2、3頭は連れていたようです。日本の在来種の馬は、ポニーのように小型で脚も遅く、長時間の労働も得意ではなかったので、馬に走らせるよりも飛脚が走った方がよほど速かったということだと考えられます。
国内の観光地では令和の時代になっても、人力車に乗る優雅な移動と引き手の方の案内を楽しむ姿を見かけます。明治時代に入り、飛脚の仕事が郵便制度などに移行した際、彼らは郵便のほか人力車の担い手にもなったようです。西洋の脚の速い馬種が導入され、その後バス、鉄道、更にはタクシーが身近な現代においても、国内の観光地で人力車が目を引く風景こそ、各地域で日本の文化、風俗を感じることができて、とても素敵なことのように思います。
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