日本国内だけを見ても、新型コロナウイルスの感染者は特定の地域だけでなく、全国どの都道府県に居ようとも、いつ感染しても不思議ではない状況になってきてしまいました。一方、観光業が大きな比率を占める地域、同じ地域内でも飲食店が多い繁華街、また感染症と闘いつつ地域の医療を支えながらも収益が減っている病院など、経済・経営面で大変な苦境に直面している方々がいるところにも目を向ける必要があります。日本全体の生産性は大きく低下し、このコロナ時代においては世界的に同じことが起こっています。大きな影響を受けていないとされる他の業界の生産性を向上させ、苦しい業界を支えようとしても限界がありそうです。今のところ良い解決策は見つかりませんが、せめて他のヒト・地域が置かれている現状を正しく知る目を養うことが大切だと思います。地域の歴史・伝統や産業をまとめたテレビ番組、インターネットで検索できる観光情報など、様々な地域の情報を集める手段を駆使して文化交流を続け、更に広げてゆければと思います。
月: 2020年8月
感染拡大のため、今週に予定している外出が妥当か、出張を取り止めるか、夏休みの帰省については帰ってくるなとの実家からの意見への対応など、各自に行動を決定を迫られる際の判断基準として、「不要・不急」という言葉が浸透しました。確かに自分自身の行動を決めるとき、一つの重要で、また有難い指標になっています。仕事上の出張などについては、所属する組織が一定の判断基準を示す場合もあり、各自が判断を迫られる重みは比較的軽いように感じられます。一方、帰省を例にとると、実家からの発言は決して本心ではなく、普段以上に言われた側のことを深く思った強い本心でもあります。それをどのように最終判断するか、極めて難しい選択になります。また、「今週に予定している外出」については、想像を働かせると、年代によりお互いの理解を慎重に深める必要がありそうです。個人的には、首都圏の電車内、あるいは駅前の飲食店のある商店街などにおいて、マスクを着けずに、あるいは比較的大きな声で会話している人たちが一定の世代に目立つような気がしています。一方、大学生などは極端に外出を自粛する慎重姿勢だと聞くこともあります。ヒトの成長には他のヒトとの接触・交流が必要と先述しました。ここには世代による重みの違いがありそうです。他人のことがある程度見渡せるようになった世代、一方、これから様々な経験を広げる世代、本能ではありませんが、自然な立ち振る舞いがありそうです。また、個人ではなく、所属する組織のことに重きを置く一つの社会経験も伴って言うように思います。現状対応の大枠をみると、行政を含めた世間の呼びかけは大きく的を外したものとは感じません。また、外国に目を向けると、各国において新型コロナウイルス感染に伴う重症化の程度にも違いがあり、更に新型コロナウイルス感染に対するリスクと他のリスクとの重みの違いもあり、不要・不急に対する判断基準も異なりそうです。「ヒトとの接触・交流」には、必ずしも会話は必須ではなく、日常生活において他の人たちの街角での行動に触れる、あるいは近隣の人達の新型コロナウイルスへの対応内容に目を向ける中でも意識できるように感じています。
電子メール、ウェブ会議システムで必要な作法
電子メールやウェブ会議システムは基本的には通信相手と実際に会ったことがある、あるいは通信の目的を共有し何らかの形で「知って」います。対して、ソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)には様々なタイプがありますが、自分の発言や情報を見知らぬ多人数に対して発信できるという特性があります。SNSで情報を発信した個人に対して、面識のない受け手が激しく批判的な発言するなどといったことが多発し、近年はその規制について様々な場で議論されています。一方、電子メールやウェブ会議システムにも様々な作法があります。「~さんへ」にあたる宛先の書き方、出足の挨拶文に始まり、「~より」に当たる部分も苗字のみ、氏名とも、所属の有無など。便箋に手紙を書くのとほぼ同じイメージです。外国の方に英語でメールする場合も、「Dear ~」は大丈夫ですが、結びにつける「Sincerely,」などは、日本文のメール感覚で忘れてしまわないよう気を付けなければいけません。ウェブ会議システムについては、特に上半身に何を着て臨むかという点が話題にされます。また、沢山のマイクをオンにするとハウリングするので、マイクは常時オフというルールが課せられる場合もあり、無声で同意する時は少し大げさに頷くなど無意識に身に着けるような作法もあるように思います。コロナ時代を生きてゆくためにはこれらの新しい通信手段への対応するという意味での変化が起こります。
戻るヒトは他のヒトとの接触・交流で成長する
読書するということは、自分ひとり分の人生を、疑似体験を通して無限に広げられる素晴らしい日常文化だと考えられます。しかし、選ぶ本の背景は自分の経験を通して理解できる範囲でないと楽しめません。共感や反感により、あくまでも体験を「広げる」のであり、ゼロを一にするのはかなり難しいのではないでしょうか。ヒトは基本的には他のヒトと接触・交流することにより成長し、経験の土台を作っています。誰にとっても、その場は学校であり、職場であり、地域生活であり、旅などであることは間違いありません。コロナ世代の我々にとって、旅が少し縁遠いものになるとすれば、地域内で自分の価値観や経験と違ったものを持つヒトと交流する方法を積極的に進める必要がありそうです。
戻るコロナ時代のヒト・地域との関わり
新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本国内での人々の生活に変化が出始めてから、早半年が経とうとしています。第一波における感染拡大により政府が緊急事態措置を宣言し、多方面での経済活動が自粛され、それまで首都圏を始め大都市では鮨詰めだった通勤電車はガラガラになり、日常生活には必須と営業が許されたスーパーマーケットだけが混雑しているというこれまでは見かけなかった毎日が続いたのは記憶に新しいところです。直近の話題としては、お盆時期の帰省を見合わせるかどうか、各地方、地域により考え方が様々なように感じます。
在宅勤務やリモートワークなどによる勤務形態は、将来的には徐々に普及してゆくとの見方は以前からありました。その対応が急激に進むことになり、通勤圏内にて、更には国内外にヒトを移動させる役割を担ってきた業界が大変な状況下にあることは想像に難くありません。また、現時点で最も重要な課題は新型コロナウイルスに感染して重症化する方を極力減らすことですが、少し長期的な視野に立つと、ヒトが移動しづらくなり、また移動しなくてもある程度の経済活動が進むことが分かり、コロナ時代の我々がどのように変わってゆくのか。我々が変化する、言い換えると、「世代」という言葉が分りやすいと思います。例えば戦争を経験した世代、逆に戦争を知らない世代、団塊の世代、就職氷河期世代など、各々が経験してきたことを通して、考え方や価値観が違っています。コロナ世代は、現在を生きている全員になりますが、年代によってその影響は違ってくることが予測されます。変化を積極的に進めた方が良いのか、部分的ではあっても変化を元に戻した方が良いのか、今のうちに少し考えてみることも大切かと思います。
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