感染拡大のため、今週に予定している外出が妥当か、出張を取り止めるか、夏休みの帰省については帰ってくるなとの実家からの意見への対応など、各自に行動を決定を迫られる際の判断基準として、「不要・不急」という言葉が浸透しました。確かに自分自身の行動を決めるとき、一つの重要で、また有難い指標になっています。仕事上の出張などについては、所属する組織が一定の判断基準を示す場合もあり、各自が判断を迫られる重みは比較的軽いように感じられます。一方、帰省を例にとると、実家からの発言は決して本心ではなく、普段以上に言われた側のことを深く思った強い本心でもあります。それをどのように最終判断するか、極めて難しい選択になります。また、「今週に予定している外出」については、想像を働かせると、年代によりお互いの理解を慎重に深める必要がありそうです。個人的には、首都圏の電車内、あるいは駅前の飲食店のある商店街などにおいて、マスクを着けずに、あるいは比較的大きな声で会話している人たちが一定の世代に目立つような気がしています。一方、大学生などは極端に外出を自粛する慎重姿勢だと聞くこともあります。ヒトの成長には他のヒトとの接触・交流が必要と先述しました。ここには世代による重みの違いがありそうです。他人のことがある程度見渡せるようになった世代、一方、これから様々な経験を広げる世代、本能ではありませんが、自然な立ち振る舞いがありそうです。また、個人ではなく、所属する組織のことに重きを置く一つの社会経験も伴って言うように思います。現状対応の大枠をみると、行政を含めた世間の呼びかけは大きく的を外したものとは感じません。また、外国に目を向けると、各国において新型コロナウイルス感染に伴う重症化の程度にも違いがあり、更に新型コロナウイルス感染に対するリスクと他のリスクとの重みの違いもあり、不要・不急に対する判断基準も異なりそうです。「ヒトとの接触・交流」には、必ずしも会話は必須ではなく、日常生活において他の人たちの街角での行動に触れる、あるいは近隣の人達の新型コロナウイルスへの対応内容に目を向ける中でも意識できるように感じています。
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