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現在人口にみる日本列島
訪日した外国の方に国内の簡単な地理(東京に来ているヒトに大阪や福岡などの位置関係など)を説明する際、英語で本州はメイン・アイランド、九州、四国、北海道はそのまま、キュウシュウ・アイランド、シコク・アイランド、ホッカイドウ・アイランドと云うと、大抵の外国の方たちは事前に勉強してきているらしく、概略はわかってもらえます。日本列島は狭義にはこれら4島と付属する島嶼とされていますが、地形的には南西諸島、千島列島、更には伊豆諸島、小笠原諸島を合わせて日本列島と捉えることができます。
各島、各諸島の人口を都道府県の人口統計をベースに正確に集計することはできませんが、2019年時点で九州1,280万人、北海道525万人万人、四国372万人、沖縄145万人に対して本州は1憶300万人程度となり、面積とともに確かに本州がメイン・アイランドであるのは間違いないようです。
また、奈良時代、平安時代以降、都が奈良・京都にあり、江戸幕府が今の東京にあったことからも、政治の中心が本州にあったことにも異論はないものと思います。しかし着目すべきは、藩幕体制は北海道の渡島半島南部の松前藩から九州の薩摩、大隅、日向国の一部を領有した薩摩藩の範囲であったことです。当時は蝦夷と呼ばれた北海道の大半の地域と琉球国(おきなわ)が統治していた南西諸島には江戸幕府の力が及ぶものではなかったということです。
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古い地形図から見える地域の歴史
図書館に行くと、様々な意味で家庭の本棚に並べることができない書籍に出会うことができますが、今回出会って開いてみたのは、「明治・大正・昭和 東京1万分の1地形図集成 柏書房」でした。何せ大きくて、幅70~80、縦50~60、厚さ5 cm程度でしょうか、棚に立掛けてある状態でなく、新聞閲覧台のような斜めの平面上で開いて閲覧できるようにセットされていました。
序文には、自然地形の諸相と変貌、近代都市としての形成・発展態様や変遷を伝えることが目的とあります。現在の東京23区の区名で馴染みのある地名もありますが、明治、大正、昭和各々の地図のタイトルになっている地名を拾ってみると、多くが区名とは違っています。
明治42年測図、大正14年測図: 千住、向島、深川、洲崎、三河島、上野、日本橋、新橋、品川台場、王子、早稲田、四谷、三田、品川、下練馬、新井、中野、世田谷、碑文谷
昭和12年測図のものは次の地図が追加になっています。こちらには現在の市名になっているものが散見されます: 市川、行徳、松戸、金町、小岩、小松川、浦安、江戸川口、草加、花畑、舎人、西新井、穴守、羽田燈台、赤羽、大森、蒲田、志村、田園調布、矢口、成増、石神井、荻窪、上高井戸、経堂、二子、溝口、膝折、下保谷、吉祥寺、井之頭、成城、登戸
この下馬図書館のある明治時代の「世田谷」を開くと、東は現在の渋谷駅、北は駒場の東京大学の辺りでしょうか、西は環状7号線道路、南は駒繋神社までの範囲です。中央に広大な駒澤練兵場や近衛砲兵連隊の敷地が占めています。現在は、陸上自衛隊のほか、世田谷公園、小学校など公共性の高い目的で使用されている施設が多いようです。駒繋神社には現在住宅地になっている方向に100メートル近くの参道がありました。特殊な施設としては神社の西方向に獣医学校、自動車学校があり、大正時代の「世田谷」になると、各々東京高等獣医専、明治薬専に変わっています。直接的には練兵場などとの関係はなかったと思われますが、軍馬や兵士の衛生、傷病対策に関係のある地域であったことが想像されます。現在これらの土地は日本大学(危機管理学部スポーツ科学部)、大規模マンションになっていますが、以前は各々日本大学(獣医学科を含む)生物資源科学部、明治薬科大学がありました。地域を年表上を辿りながら思い浮かべることができ、本書の序文にあった「近代都市としての形成・発展態様や変遷を伝える」という目的を十分に果たしていると感じました。


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世田谷区立下馬図書館
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古い地形図から見える地域の歴史
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江戸・東京の伝統芸能
新宿三丁目のC3出口を左に向かうと間もなく、狭い道路は多くの人達で埋め尽くされていました。新宿の裏道を通り抜けするつもりだったと思われる男女が「この人だかりは何?」でもすぐに「寄席に来てるんだ」と新宿末廣亭に気づいて納得して通過して行くのを見かけました。末廣亭は東京にある落語定席の一つで、200席足らずの規模で深い趣を感じつつ落語を中心に寄席を楽しむことができます。

通りかかった日は正月ということもあり親子連れを含めた長い行列ができていました。NHK の撮影で席数も制限されそうという情報もあり、他人事ながら全員が入れるのかと余計な心配をしてしまう程の状況でした。

歌舞伎座は高層オフィスビルが併設され2013年に今の建物になりました。日本一の大劇場を目指して明治中期に創設されたとのことで、東京メトロ東銀座駅の6か所ある出口のうち5か所の何処からも威風堂々とした姿を見つけることができます。1か所は歌舞伎座へ直結の出口になっています。公演は年間を通して開催され、普段も和服など正装での観客が多いのですが、特に正月は振袖など華やかな和装姿の方が多いように感じました。

東京都中央卸売市場は、2018年10月に築地から豊洲に移転しました。一方、築地場外市場は昨年末も多くのヒトでごった返していました。

卸売りを行ってきた築地場内市場(移転済み)に対し、築地場外には寿司屋さんや料理屋さんのプロの料理人に食材を仲卸するお店が軒を連ねています。それらお客さんへの便宜のため、鰹節や乾物を扱うお店、包丁など調理道具を扱うお店などもあり、食の専門百貨店といった印象です。特に早朝はプロによる買出しが優先のようですが、9時以降、午後の早い時間までは観光客を含め一般客にも開放されていて、数の子から卵焼き、伊達巻、蒲鉾などおせち用の加工品のほか、新鮮な魚介類がかなりお値打ちに買物できます(たっぷりサイズになりがちですが)。季節柄、タラの白子やあん肝などが目を引きました。また、日本のお正月は蟹が大きな主役だなぁと改めて実感しました。
