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台湾と樺太の存在

2012年に国立大学法人総合研究大学院大学が「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」というタイトルでプレスリリースを行っています。その中で、「日本列島人」の共通起源として縄文人があること、弥生時代以降の渡来人との混血である「本土人」、縄文人の特徴を残しつつ北方の人類集団との遺伝子交流のあった「アイヌ人」、本土から多くの移住があったものの縄文人の特徴を残した「琉球人」の遺伝学的特徴について示されています。近代化が進む明治時代前までは、「アイヌ人」や「琉球人」は独自の文化を発展させてきました。

江戸時代より前は日本国内が戦国の時代であったように、明治時代になって世界的な領土争いが行われました。日清戦争の結果、台湾は第二次世界大戦が終了するまで日本に割譲されていました。その結果、沖縄の人たちと台湾との関係性が活性化されました。台湾人の大多数は漢民族であることから、近代になってからの政治的背景による民族交流が加速されたとも云えるのではないかと考えられます。

樺太(ロシア名サハリン)については、南半分が日本の領有であった時期もありましたが、第二次世界大戦が終了後は当時のソビエト連邦による占領を経て、現在はロシア領となっています。また、樺太アイヌの明治政府による北海道への集団移住の歴史があります。北海道アイヌは7世紀以降に東北地方からの移住民と文化と形成したとされ、樺太アイヌは遺伝学的にも伝統文化も異なると推察され、単なるアイヌ居住地域内での移住ではない、やはり近代の政治的背景による大きな影響を受けています。しかし、明治維新以降のこれら各地域の近隣同士の交流を遥かに超える大きな時代の潮流を改めて意識する必要があると思います。

中央政治と地域の独自性

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