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SFの世界から想像する未来の地域交流

コロナ禍によって所謂人流が制限され、人々が楽しみにしている旅行や会食、ショッピングに止まらず、仕事上の出張や出勤までもがままらなくなっています。一方で、インターネットというインフラが20年以上掛けて整備され、普及している恩恵に預かって、Webあるいはリモートを利用した情報伝達が台頭しています。

今振り返ると赤面ものですが、海外の面識がない方と電子メールで仕事上のやりとりしている際、直接的な話し合いが必要になりました。「電話で話しましょう」と提案されたので、すぐさま電子メールで、+81で始まる電話番号を先方に伝えてしまいましたが、それに応える返信はありません。現代では、高額な国際電話料金を支払って固定電話で話をする機会は大変限定的になっています。Webあるいはリモートを使うことで、在宅勤務の社内業務でも、海外の会ったことがないヒトとの会話でも、同じ画面で用事が済んでしまうのです。

ところで、コロナ禍でのWebあるいはリモートですが、思うほどに特殊な世界に入っているのでしょうか?答えは多分否だと思っています。遠隔地の情報共有に経費を掛けず、しかも以前はテレビ電話と呼ばれていた世界が現実化していますが、基本的には偉大なベルによる発明品の電話の延長なのではないでしょうか。

それよりも、これから更に変化するのは旅行だと思っています。何十年か前のSFでは、瞬間移動ートランスポーテーションという未来予測がありました。ファクシミリで印刷物が遠隔地に送れるように、ヒトも送れてしまう世界です。但し、電気?量子?信号からヒトが再現される時、コピーエラーが起こって少しずつおかしくなってゆくという想定です。瞬間移動の実現は先の話だと思いますが、「アバター」の実現はきっと身近に近づいています。観光地にはロボットが歩き回り、それを自宅で遠隔操作する。料金設定は、現在、航空機で移動して旅行するのとほぼ同額、旅行業界では実用化間近になっているかも知れません。

その延長として、地域間交流もロボット化ですかね。

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地域のお菓子

帰省や旅行、そして出張などの際に地域ならではの手土産を買求めるのは何時頃からの習慣なのでしょうか。海外の観光地にも地域の記念品を売るお店を目にしますので、遠くに出掛けた時の、ヒトとしての自然な心持ちよるものなのでしょう。国内のお土産ものと云えば、様々な特産品がある中で、お菓子が最も一般的な品物の一つになっています。北は北海道から南は沖縄まで、各地域のお菓子をすぐに10個程度挙げるのは難しくありません。

このコロナ禍により、ヒトの移動が大きく制限され、帰省、旅行、そして出張の回数も大きく落ち込んでいます。何処にも出かけることができないので、むしろ地元のお菓子に目を向けてみることにしました。

自由が丘にある「亀屋万年堂」の総本店です。東京都内には直販店も多数あり、昭和の時代にTVでコマーシャルされていた「ナボナ」は東京土産としても知られていますが、むしろ地元に根付いた贈答品として有名です。

ナボナ : バニラのほか、すっきりとしたミックスベリーなど多数

東京急行(東急)東横線に乗ると、「亀屋万年堂」の季節により変わる広告が出されています。今年5月の現時点では「塩餡豆大福」、宮古島の「雪塩」を加えて練り上げたこしあんを使っているという真丸い大福もちの写真をみて、間違いなく美味しいことを確信して、晴れた日曜日に自転車で出掛けてみました。想像通り、北海道産の小豆を優しい雪塩の味で仕上げた、さっぱりとした逸品でした。

遠くに行けない今こそ、地域のお菓子に改めて目を向けて楽しむ。そして、帰省できない分、こちらのお菓子を送って楽しんで貰う。ナボナは丁度一口サイズで、ちょっとした時間に美味しく頂けるのですが、何とも云えないふわふわ感は、硬いものが苦手な年代の方も含めて幅広い年代に人気なのだろうと、改めて想いを広げたひと時でした。

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地域の大人

大人と子供の違いについては、見る角度により様々な説明ができるのだと思います。日本では子どもみたいな大人が多くなったと言う方が複数いらっしゃいます。それは本を読んで自分自身以外の人生を体験する機会が減ってしまっているせいだとの意見もあります。

コロナ禍においてはヒトと接する機会が減り、失敗体験もままならず、自分自身の人生を通して成長することも危うくなっています。解決方法を見つけるのは難しく、強要できるものでもありません。ただ、其々が自律して、地域の活性化、産業、自然、発展のことを思い、あるいは尽力することを目標に日々を迎えるのも、その一案かも知れません。

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春の兆し

4月が次第に近づき、東京地方でも随所で春の兆しを感じるようになりました。南は沖縄、鹿児島から、北は北海道、青森まで、各地域で感じられている春の兆しはどのような雰囲気なのでしょうか。

3月20日: 周囲の木よりも1本だけ早咲き満開でした (中央区)

各地域の良いところを地元の方が実感し、それを広く知って貰うように個人レベルの活動を展開することが、地域の活性化にとても大切と考えています。2019年10月の本ブログ「競争と共存」にもう少し詳しく書かせて頂いているので、宜しければご一読下さい。地域自慢の特産品を安売りしない、というような考え方ですが、最近では「食べチョク」という産直通販サイトも広く知られるようになり、進化する情報通信技術に見合った社会ができつつあるのを楽しみにしています。

3月7日: 端正な住宅地に見事なハクモクレンを見つけました (目黒区)

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個人の平等と不平等を地域と対比して見えてくること

国内外に関わらず、富裕層の楽しみであり出資先として、海外旅行が高比率を占めていた ー コロナ禍によりそのようなことが浮き彫りになってきているようです。2020年12月の本稿にて、「この20年間に飛行機で世界中を行き来する人の数は2002年頃に比べ昨年度は3倍に増加していた」と関連する内容に触れていました。豊かになることで自らの経験値を積む、資金投じてクリストファー・コロンブスの苦労を経ずに、異文化に接することができる、そのような時代になっていました。昭和の時代に海外経験が自慢話にできたような新規性はなくても、自分自身の中での充実感を十分に感じることができたようです。何故でしょうか?正解はいくつもありそうですが、一つポイントになるのは、ヒトが生涯の中でできる体験には一定の限界があるという変え難い事実があるからだと思います。資金はその限界というハードルを下げてくれる手段の一つでした。コロナ禍によりその価値観が変わりつつあることに多くの方が気付き始めているようです。

ここで確認しておくことは二つあります。一つは、資金のない多くのヒトは海外旅行をしたくてもできず、あるいは一生に一度だけの目標にするヒトも多くいる事実、不平等があること。別の一つは、富裕層とされるヒトの中には一度も海外旅行をしないヒトもいて、それは不平等ではなく、富裕層の中において生涯に対する意識の仕方に違いがあること、あるいは生涯で成し遂げたい体験は自由選択であることです。組合せが4つあることが分かってきました。1) 旅行したい、資金あり 2) 旅行いらない、資金あり 3) 旅行したい、資金なし 4) 旅行いらない、資金なし。旅行の2文字については無限の入れ替えが可能です。

個人の事情を地域毎のヒトに置き換えてみます。(ここからは完全に私の経験に基づく偏見になりますが) 都市部では各人の周囲環境を踏まえて1) と 3) が混在し、地方では精神的豊かさを踏まえて2) と 4) が混在していると大雑把に見ることにします。このコロナ禍により旅行ができない不満足感は、精神的に豊かな地方ではなく、むしろ一見豊かそうに思われている都市部における富裕層と、そうでない両方の人達の生活の変化において、より顕著になっている可能性があります。緊急性をもってその事実に気づき、早めの対応を取ることが必要だと考えています。

可能な具体的な対応策ですが、この1年間で見えてきたリスクの高い行動に対する更に徹底した自粛を促す広報と教育を行い、それを継続すること。これらを前提として、逆にリスクが低い行動に対しては積極的な緩和をすべきだと思います。ヒトの移動は確実にリスクを上げるようですので、旅行ではなく、先ずは極身近なことに目を向けましょう。各地域内での生活の中で、ご飯屋さんは閉めない、連れ立って入らない。飲む時は話さない、マスクをして話す場を近くに用意する。言い換えると、長年の「ながら」習慣を大幅に縮小する。感染拡大の可能性も完全には否定できない小さな対応ですが、これらを実行するかしないかで数年後の世の中が大きく違ってくるように確信しています。ヒトにとって移動の際の暇潰し策はとても重大事だそうです。船旅でのパーティーからカーラジオまで様々な方法が講じられてきました。一方、時代の流れは間違いなく移動のスピード化です。「ながら」の時代から「集中」の時代へ。移動に対しても徐々に具体的な対応策が見えてきそうな気がしています。

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発信者の思考と受信者の思考の乖離

メディアの役割は本当に大切だと思っています。政治から芸能界まで裏側の情報を炙り出して視聴者や読者に伝える、広く知らしめるべき情報を伝える…。

しかしこのコロナ禍においては、発信者の思考と受信者の思考が大きく乖離しているように感じています。受信者の受け止め方に多様性があるのは、平時には必須であり、このブログのテーマである地域の独自性の原点の一つでもあります。

メディア側の発信者は、多分、社会科学をベースと人たちが大半なのだと思います。今回の相手は新型ウイルスなのですが、話題は政策であるとか、生活者の行動などに集中しています。今回の件については、社会科学的思考の中に、土台となる自然科学的な根拠を取り込む必要があります。最もそれを顕著に感じたのは「ランチも控える」という発信です。

新型コロナウイルスに関する情報はまだ十分ではないのかも知れません。けれども、「空気感染ではなく飛沫感染」「マスクは感染予防に極めて有効」「飲酒すると声も大きくなるので飛沫リスクも高まる」「食事の場では昼夜問わずマスクを外すので、大きな感染リスクになっている」などについては、これまでも情報発信されてきました。またこれらを根拠として「ランチも控える」に至ったのだと理解しています。しかし、全ての受信者がこれらのすべての自然科学的な根拠を思い起こして受信している訳ではないので、政策に対して大きな批判の声も聞こえてきます。

このところ家庭内感染の比率が上がってきたようです。個皿での食事を、トイレには蓋をしてというのも何故か耳に残っています。しかし、地下鉄大江戸線の乗務員の方の感染源が洗面台の蛇口であることが報道されましたが、この情報を家庭内感染の予防にどのように役立てるかというお話にはなっていません。幅広く実現できる方法が説明しづらいからでしょうか。受信者は、自分たちが感染しないための情報が提供されていないことにさえ気付かされていない状況かも知れません。

呼吸器は専門外というお医者にも新型コロナ患者の診療をして頂かなければ追いつかないような話になっています。医療従事者だけに任せるのではなく、各自がもっと柔軟に…。メディアも自然科学的な思考、説明に取り組む、日本中が一丸となってできることはもっとあるように思います。

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コロナ禍の中で迎える年の瀬-近隣地域内の交流について-

2020年、元号が令和になった2年目の今年は、2月が29日まである閏年で、本来であれば東京オリンピック・パラリンピックが開催される筈の年でもありました。ラグビーワールドカップ2019の結果などスポーツ界での朗報も多く、その機運は益々高まっていました。一方、2019年は各地で地震や台風の大きな被害がありその復興が大きな課題であり、12月にはアフガニスタンで中村哲医師らの銃撃事件があるなど穏やかでないニュースで年末を迎えていました。そのような中ではありましたが、年が明けた1月4日、土曜日のニュースのトップにはUターンラッシュが挙げられていました。年末年始は例年通りの帰省など比較的穏やかに過ごされた方も多かったのではないでしょうか。2020年は力強く前に向かい、むしろオリパラ閉幕後の経済についての懸念が語られて始めていた状況でした。

耳にしたことがなかった武漢という都市が1100万人規模だということも驚きでしたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、世界中の人々の日常生活、社会生活が激変に巻き込まれる現状を誰も想像できていませんでした。2002年に中国で発生したSARS、2012年に中東で発生したMERSもコロナウイルス感染による呼吸器疾患です。各原因ウイルスの性質により広がる速さ、地域に違いが出たと思われますが、国際民間航空機関 (CIAO)、国際航空運送協会(IATA)の集計によると、この20年間に飛行機で世界中を行き来する人の数は2002年頃に比べ昨年度は3倍に増加しており、感染症の拡大対策の重要性が益々高めっている状況にあったようです。

4月7日からの緊急事態宣言により、通勤時間帯でさえも市中を行き来する人の数が激減し、対照的にスーパーマーケットが込み合うという状況になりました。単に国や地方自治体による対策だけでなく、最近までテレビなどを通してご活躍を身近に見ていた方々の訃報を受けるなどして自粛ムードが一層高まり、感染者数を低く抑えることができていたように思います。欧州、米国では感染者数、死亡者数ともに激増したことから、一時期は、COVID-19に対する感受性が、欧米人と日本人を含むアジア人との間で違うのではないかという考え方も紹介されていました。また、緊急事態宣言が出された第一波の時期に比べると様子もある程度見えてきていて、事態は深刻化していないとの錯覚もありそうに思います。日本人に限らず多くの人は安心できる情報を求めて信じる傾向があります。そのような経緯があってか、年末を迎えるこの時期の第三波とも呼ばれる現段階において人出は余り減らず、PCR検査による陽性者数も毎日最高値が更新されている状況になっています。今後の動向については各専門家などにより分析、予測あれているものと思いますが、人工知能AIが予測しているものを民間情報企業も公開しており、その結果は必ずしも楽観できるものではないようです。

緊急事態宣言下の生活が始まった頃から、現状を乗り切って元の生活に戻れる時期を見据えた議論は次第に変化し始め、今後の生活様式がどのような方向で大きく変化してゆくか、変化するべきかという議論が優勢になってきたように思います。見えやすい変化としては、インターネットの活用を基盤とした在宅勤務、ウェブ会議の広がりや、決済手続きの電子化など、人の移動、接触を可能な限り減らすための技術ベースの内容が挙げられがちのように感じます。一方で、生活様式が変化した中においても人と人との交流は大切ですし、旅行などを通した文化交流、他地域の理解も例外ではありません。経済復旧を含めたGO TOシリーズの政策は、可能な範囲で人の往来を回復させつつ、経済を回すことを重要視したものでした。ただ、元に戻してゆくためには、向かうべき方向性を見据えた上で、着手するべき順番が大切な気がしています。歴史を振り返ってみても、人同士の交流の原点は、居住区域、生活地域単位でした。年代を超えた人の交流によりお互いの行動を理解しつつ、必要に応じて生活様式を軌道修正し合う。次は市区町村、あるいは都道府県単位でしょうか。このコロナ禍の中において、宿泊施設の利用についても都道府県内の小旅行が推奨された事例もありました。更にいくつかの段階を経て、最終的にはオリパラの開催を含めた大陸を跨がる人の移動も必要になるでしょう。開発中のワクチンの力を借りるステップは主にこの段階に効いてくると思っています(医療従事者など高リスクの方へのワクチンの適用は、人と人との交流の枠の外で考えるべきあり、最優先であることは云うまでもありません)。原点を繰り返しますが、コロナ禍をきっかけとして、近年において希薄になりつつあると云われた近隣地域内の交流を少しでも取り戻すよう、各地で始動の機運が高まらないものかと考えています。

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村山貯水池(多摩湖)

東京都の水道水源の一つ多摩川水系について調べてみました。多摩川の上流、奥多摩町にある小河内ダム(奥多摩湖)が大元の貯水場所になります。水道原水として青梅市の小作取水堰と羽山氏の羽山取水堰から取水され、自然流下により導水管を経て埼玉県所沢市の山口貯水池(狭山湖)と村山貯水池(多摩湖)の一旦貯水、その後東村山浄水場など都内数か所の浄水場にて上水処置をして水道水として供給されています。

東京都水道局 東村山浄水場 正面入口

11月の多摩湖は紅葉時期で、小さな子供連れの家族などで程よく賑わっていました。多摩湖の取水塔は、レンガの土台、タイル張りの壁面にはアーチ窓が配され、屋根は青銅のドーム型になっており、日本一美しいとも評されています。ゆったりと眺めていると、外国に旅してきたのかのような気分にもさせてくれました。

村山下貯水場(多摩湖)の第一貯水塔

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江戸の水源

東京都港区にある東京メトロ溜池山王駅近くに上水源としても利用されていた「溜池」があったことは良く知られています。当時の河川を堰き止めて造られました。溜池交差点から赤坂交差点手前までの外堀通りになっていますが、不忍池と並んで大変風光明媚なところであったと云われています。竹内正浩氏著「地図と愉しむ東京歴史散歩地形篇」(中公新書)によりますと、江戸城(現在の皇居)の内濠もダム湖であり、現在の御所がある一帯の高地を中心とする地形の高低差により内濠に水の流れがあることが記されています。JR御茶ノ水駅の横には渓谷をつくる神田川が流れ、起伏に富んだ江戸中心部(現在の都心)には豊かな湧水による池も多数存在しました。港区にある六本木ヒルズの毛利池の下には、以前に一帯を所有していたニッカウヰスキーのニッカ池が保存されており、自生する蓴菜がみられたとも云われています。

都心から武蔵野台地に視野を広げると、神田川の水源池は井の頭池で、神田川の旧名は神田上水、やはり江戸の大切な水源でした。東京都内の水道は現在、利根川・荒川水系から80%近く、多摩川水系から20%程度供給されています。昭和時代の前半までは多摩川水系が中心でしたが、江戸の六上水の一つである玉川上水に端を発しています。現在の東京の水源は、江戸時代の上水設備から時代に対応して進化してきており、世界に誇る大都市を支えています。ただ、一つ心に留めおきたいのは、都市化に伴い道路の舗装などが進み、井の頭池を含む江戸時代の湧水は、殆ど枯渇してしまっている(現在の池の水はポンプで汲み上げている)ことです。江戸時代には崖崩れや洪水など水害にも悩まされていましたから、勿論、治水を含めて前に進むことは大切です。一方、先を見通した視野を持って前進する必要性については、地球を取り巻く県境問題と共通するものと考えられます。

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地域の生活用水

今月に入って各地で紅葉の風景が見られるようになりました。近所にある樹木からも美しい季節の移り変わりを感じることができますが、テレビなどで古都の寺社や山間部の名所からの芸術的な映像を見ていると、自然と気持ちが身近な風景とは違ったところに広がってゆくのを感じます。山や川の風景を想像しているうちに、今回は紅葉狩りを兼ねて、地域の生活用水について考えてみることにしました。

村山貯水池(多摩湖)の堤体から東村山市方面を望む。

産業の主体が農業や漁業の地域は集落単位の生活で成り立ち、生活用水は近くに河川や湖沼などの地表水と呼ばれるもの、あるいは井戸から地下水を取って生活用水にしてきました。一方、工業の進展による産業構造の変化や生活の都市化に伴い、生活の主体は比較的大きな河川など水源のあるところに集中し始め、次第に上水道の対策がなされることになります。各地域の水道は水源を中心とした地理的な事情により様々に発展してきました。

その歴史は、大規模な発展としては主に明治時代以降の行政対策によるものと考えられます。例えば京都市の水源である琵琶湖疎水は1885年(明治18年)の着工、名古屋や知多半島地域の水源である愛知用水は1957年(昭和32年)の着工とのことです。一方、1600年頃に始まった徳川家康による江戸の都市化においては、当初から上水対策への取組みが始まったとされています。歴史を振り返りながら、現在の生活用水にゆかりのある近場の施設を訪ねてみました。

• 江戸の水源

• 村山貯水池(多摩湖)

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