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躑躅の彩り ー 春の総仕上げ


ツツジは自生種も多く、日本人にとって親しみ深い花の一つです。分類階級である門・網・目・科・属・種で云うところの、ツツジ科ツツジ属のものをツツジと呼ぶそうです。野生種から園芸用に交配されたものが含まれ、開花時期、葉のかたち、雄蕊の数などを各品種の特徴とするようですが、私のような素人には種類が多くて正確に区別するのは難しいです。

京都、西本願寺、堀川通り沿い

とは言え、春の訪れをいち早く知らせてくれる梅の花、入学式シーズンに空気を一気に軽やかにしてくれる桜、そして、沖縄では3月から、本州では4月中旬以降、北海道では主に5月になってから品種毎に一斉に開花し、春らしさを定着させてくれるツツジは、全国的に多くの方達が感じることができる風物詩です。

国内では数十種類の原種として、サキシマツツジ、キリシマツツジ、ヤマツツジ、ムラサキヤシオ(ミヤマツツジ)、エゾムラサキツツジなどがあります。原種をいくつかかけ合わせた、クルメツツジ(久留米躑躅)やヒラドツツジ(平戸躑躅)は、日本庭園にも植えられてます。

東京、華やかな色合いに毎年目をひかれています。

ツツジには空気の浄化作用があることなどから、中低木の街路樹としても大変多く見かけられ、個人の庭木としても親しまれ、正に国民的な樹木と言えるのではないでしょうか。

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アニメ・小説にみる地域の名所たち

人気のアニメの舞台に似ている場所がある、との噂により、ファンの方たちが訪れ聖地化しているところが多くあります。千と千尋の神隠しの舞台?と云われている四万温泉の積善館(群馬県)、渋温泉の金具屋(長野県)、そして町が丸ごとの台湾、九份。涼宮ハルヒの憂鬱の舞台になっている西宮市。名探偵コナンでは東京から関西、鳥取県、加賀市、下関市など。実際に訪れたことがなくても、こんなに綺麗な地域があるのだなぁ、このように何変わらぬ各地で若者が暮らしているのだなぁ、と思いを馳せ、またインターネットで気軽に動画や写真を見ることもできます。アニメの舞台は、実際の風景を視覚で確認できるのが良いところです。

一方、小説に描かれている地域の風景は少し違った趣があります。作家さんの想像ではなく実在している風景であることが分かっていても、自分が訪れたことがない場合、読み手が想像する風景は実際とは全く違っていることが多いと思います(それでも小説の楽しさには全く影響はないのですが…)。一方で自分が訪れたことがある場所の場合は頭の中で完全に視覚移入することができます。

最近、万城目学さんの第二作、「鹿男あをによし」を読んでいますが、これはもう、奈良市は近鉄奈良駅の周辺、奈良県庁、東大寺の境内から春日大社、興福寺界隈の細かい風景が十分に再現されていて驚いています。リアルな風景を読み解ける小説は、読み通した後に当地を訪れる楽しみもあり、アニメと同じくインターネットで小説の舞台を写真で紹介してくれているケースも多く、アニメの聖地と同様に1冊で2度楽める、ということだと思います。

多くの方々が言及されていることですが、アニメや小説などの作品は、一人分しか実体験できない人生を無限に豊かにしてくれます。また、昨年暮れの新聞記事に、ホモ・モビリタス、人は移動する生きもの、「行ったことがない場所に行くなど探索度が高い日には、より幸せを感じる」との米マイアミ大学の研究結果が紹介されていました。コロナ禍における移動の不自由は、避けることのできない世界の人々の試練ではありますが、あと少しの我慢と願いつつ、解消を心より祈っています。

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牡蠣の美味しい季節です!

牡蠣の美味しい季節です!英語表記にてRが付いている月に牡蠣を食すべき、という大雑把な言い伝えには理由があり、そこには例外もありますが、日常生活においてスーパーマーケットなどで「どうぞ!」とばかりに食卓に並べやすいのは、間違いなく今の季節です。生産量では広島県が他を圧倒していますが、日頃の買い物をしている限りでは、広島と宮城県が並んでいて、北海道が殻付きのものなどオプションが準備されている印象があります。

近くのスーパーマーケットでは、生食用が手にしやすいのは宮城県産で、しかも大粒で食べ応え満点です。フライなど調理用にする場合にも、加熱時間を最短にしても安心とのことで、大粒の生食用を求める方もおられるのではないでしょうか。

広島県産は、一般的に加熱用が優勢のようにも感じますが、水域によっては生食用で、かつ濃厚な味わいのブランドものも時折見かけることがあります。比較的小ぶりですが、濃厚な味わいなどお好みによって同じ真牡蠣の中での違いを楽しむのも良いかと思います。

単なる先入観なのですが、生食がベストの食べ方とは必ずしも断言できないのは、数ある海鮮食材の中でも特に牡蠣に当てはまるのではないかと思っています。先述のフライのほか、鍋も定番かと思いますが、シンプルかつ最高の味わいになるのは、フライパンでの素焼きです。塩味はありますので、お好みで黒胡椒などを振って、蓋をして、ひとまわり小さくなったら出来上がり。魚類や甲殻類の旨味を遥かに超える濃厚さを味わえること確約です。

まだまだ旬の季節が残っていますので、何時もと違う味わい方を試してみたい方は是非ともお早めに!

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新型コロナ第6波の中での東京都内の感染拡大事情

国内のほぼ全ての地域において、オミクロン株の感染拡大は続いています。1月28日の発表では、国内で1日に8万1810人の新規感染者がでているとのことです。

東京都内では、1月中の累計新規感染者は19万4719人とされており、人口の1396万人に対して1か月間で140人に1人の割合で感染したことになります。ニュースで報道されるこの感染の広がり方をみても、身近にPCR検査に陽性の方、発熱などの症状が出た方がいても全く不思議ではない状況です。

実際、知合いの方の中にも、特に保育園・幼稚園から中学校までの子ども達が感染し、あるいはクラスで感染者が出て濃厚接触者に該当するかどうかの判定を待っている子ども達をもつ親御さんが複数みられるようになりました。1月25日時点での厚生労働省のデータでは、所謂第6波での感染者のうち、10代以下の子どもの割合は26.1%と、これまでに比べて高くなっています。ウイルス接種の対象外であった年代に広がっているとの見方もあるようです。

実際に感染あるいは濃厚接触した、あるいは可能性のある方のお話を身近にて伺うにつれ、感染拡大防止、医療ひっ迫の問題の他に、この新型コロナ禍がもたらす影響が多く存在しそうなことを強く感じるようになりました。特に、外で飲食して大人が先ず感染者になっていた時期と異なり、普段クラスの中で過ごす子ども達が真っ先に感染した場合の複雑さは如何ほどのものなのでしょうか。誰が最初に感染したのか、子ども達自身に加えて親御さんの目も加わってきそうです。発熱して家に戻り、あるいは家で発熱した子どもの中には、自分のせいでお母さん、お父さんも出勤できない状況になっているのを見て気にする繊細な気性の子もいるかと思います。オミクロン株は少し弱毒化しているとの情報もありますが、風邪を引いたので仕方がないから休みましょう- だけでは済まない新型コロナ禍の影響- 人の気持ちに影響する可能性、場合によっては家族以外の人が感染者などを傷つけるようなことがあり得ることを見据えて、お互いに気を配る余裕が必要だと強く考えています。

移動自粛の雰囲気もあって、他の道府県の状況を知るのが通常よりも少し難しくなっていますが、恐らく、日本国内、あるいは各国でも同じような事情が数えきれないほどあるのだと、遅ればせながら、漸く想像力が働くようになってきました。ただでさえ世界中にストレスが蓄積している中、感染予防、感染治療への対応に加え、周りの人への配慮をお互いに意識することで、自然界にあって人間の持てる力は如何程のものか、ウイルスなどの災いをもたらす病原体、あるいは他の生きとし生けるものに示せる展開にしてゆければと祈っています。

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東京近郊在来線の年末事情

コロナ禍前は、朝の通勤通学の時間帯といえば、すし詰め状態に近い、周囲の乗客との密着度が高い混雑状況でした。コロナ禍が一旦落着いた今年の10月以降においても、テレワークが浸透するなどした影響でしょうか、以前の状態に比べかなり楽になりました。鉄道各社では窓開けやマスク着用、大声での会話自粛などの社内放送など感染拡大予防対策が続けられており、その一環として乗客が減っても運行数を減らすことはしていませんので、大変助かっています。

今年は12月24日クリスマスイブが金曜日、25日クリスマスが土曜日でしたので、週明け27日月曜日の車内は先週から一転して年末ムードに変わりました。先ずは制服姿の中高生の姿をほぼ全く見かけなくなりました。また、都市部でもそれなりに常連の通勤者の顔を覚えるものですが、少し減っているように思います。本日28日のネットニュースによると、東京駅にも帰省客が戻り、明日が下りのピークだとか。夏には東京オリンピック、そしてその後の新型コロナ感染者の急増など大変な1年間でしたが、静かに暮を迎えつつあります。

今年は首相の交代もあり、コロナ禍対策も丸2年になる中、オミクロン株に対する政府の水際対策など、徐々に先を見据えた方向に向かっています。何より、外務省、国土交通省、厚生労働省などが各役割分担に応じて的確な方針の決定、対策の変更などを進めていると感じられることは、多くの生活者が落着いた年末を迎えるために役立っています。

様々な職域の方のご尽力を感じ、また一方で目を覆いたくなるようなニュースも数々思い出される1年でしたが、国内の各地、また各国において穏やかな、少なくとも争いごとが最小限にできるような新年であればと思います。より佳い年になりますように。

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京都駅からみる街の風情

新型コロナが沈静化しているのを機会に新幹線に乗り、西に向かいました。快晴の秋空の下、山頂付近が白くなった富士山を眺め、所々に色付いた紅葉の風景を車窓の中に描き消しながら、意外に新幹線が細かく揺れるのを感じながら進みました。普段乗り慣れている地下鉄などに比べると、二段階も三段階も上の高速対策を取った上で最小限に抑えた衝撃なのでしょう。

秋色の下、雪化粧を始めた富士山を車窓から望む。

程なく京都駅に降り立ちました。近頃、暫くぶりの駅前が何処なのか、駅前の雰囲気を感じるのに時間が掛かることが時としてあります。大型の商業施設のネオンサインや看板が似通っていることに因るように思います。対して京都駅の改札口を出て、駅前に立つ、タクシーなどで徐々に駅を離れると、京都は何か違うなぁと感じます。

JR京都駅ビルの大階段の方向から見る改札口。

京都市街地では、屋上に広告を設置することが制限されています。大きさに関わらず電灯が点滅する看板を出すことができません。また、原則高さ31メートルを超えるビルを建てることができないとのルールもあります。街の発展を考えると、必ずしも賛成意見ばかりではないように思われますが、歴史的建造物の存在を損なわず、景観を維持するために長い間合意されてきた賜物として京都の風情が守られています。

京都タワービルのタワー部分を除くと、31メートルだそうです。市街地にはこれを超えるビルはありません。

京都の市街地には高速道路がないことにも気付きます。自動車の排気ガスにより寺社の金属製の装飾品の腐食が進んでいる問題もあります。歴史的遺産の維持には、表には出ない莫大な努力が必要なことは、自然遺産を維持する大変さと共通しているように思います。目で見て、見えないものを見ることの大切さを感じた京都訪問でした。

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地域の床屋さんで思うこと

床屋さん、barberは世界中の各地域にあって、男性諸氏の髪を整えるべく尽力されているものと思います。散髪中はマスクを外しますので、日々の新型コロナ感染者数が多い時には少し躊躇しつつ行っていました。今現在、国内での新規感染者数が激減している状態で、先日は久しぶりにほぼ安心して行ってきました。

美容院に比べるとお客からのリクエストは少ないようですが、稀に普段見ない方から難しい相談を受けることもあるようです。人其々、髪質、生え際、頭の形など様々なので、できること、できないことがあり、そこはプロならでは、判断してお客にできないことはできないと伝えなければなりません。

床屋さんに限らない話になりますが、職業になり得る全ての対象物、対象者、対象部位(床屋さんの場合は髪、頭)については、それを職業にしている人、あるいは一部の趣味にしている熱心な人が対象物、対象者、対象部位を圧倒的に多数見ていて、比較もしていますし、熟知しています。そういう意味では、プロ、セミプロは素人には負けません。

床屋さんに戻ります。散髪をして貰っている間お話が弾むこともありますが、口元に蒸しタオルが当てられて、沈黙の時間もあり、ゆったりと他愛のないことを思い巡らす至福の時間でもあります。職業→対象→床屋さんはヒト→お医者や整体師、介護士、あるいは教育者など特殊な職業か?芸能人はヒトが対象か、向き合っているのは芸術そのものか?全ての職業は対象により分けられる?食品業界、機械業界、建築業界、金融業界、など。この年になって改めて気付くことでもなく、経済学や経営学、商学などを修めている人には当たり前のことなのかも分かりませんが、職業とその対象物に思いが巡ります。

モノを対象にしている職業人各位は、その対象が何か、自分の意識の中にはっきりしているように思います。一方、ヒトを対象としている職業人の方各々が、横のつながりをどのように感じておられるか、考えておられるのか少し興味を感じました。介護職は、医者と極めて密接に連携を取る必要がありそうです。児童相談所の職員の方は、ご時世なのか、警察官との関係も出てくる可能性があります。昭和の時代は、医者や教師などヒトを対象とする職業の人達が今よりも意識され、大切にされ、我々も恩恵をより感じていた時期があったように思います。近頃は代表格が介護にシフトしている可能性もありますが。今風にはエッセンシャルワーカーと呼ばれるのでしょうか、従前の医師や教師とともに介護職の方などヒトを相手にされている職業人の方を少し違う眼差しで見ることで、各々の地域の雰囲気、住みやすさが違ってくるかも知れないと思いました。

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お彼岸に思うこと – 昼の時間と夜の時間

秋分の日という言の葉に誘われて、日の出、日の入や、昼の長さ、夜の長さなどに思いを馳せてみました。学校に通っていた頃には、学ぶ時間が十分に与えられていたし、分からなければ質問する機会も与えられていた筈なのですが、何故に夏は日が長く、冬は短いのか等の日常的な現象の変化には特段の興味を持たず、先生方の授業にもそのような疑問への解説が含まれていたかと想像しますが、右耳から左耳という有様だったことを反省しています。ところが、ある程度の年を重ね、経験や見聞きする知識が増えてくると、点と点が繋がって、自然現象についても興味が湧いて、何となく想像が働くようになってきた気がしています。

日本は南北に長く、私自身、特に北方に住んでいた時期には、夏と冬の昼間の長さの違いを実感していました。改めて理由を考えてみると、多分、地球の軸が傾いていることが関係していることは間違いなさそうに何故か確信します。案の定、お彼岸の昼と夜の長さがほぼ同じ理由は、地軸に対して太陽が真横から当たることによるようです。なので、この季節に、昼の長さと夜の長さがほぼ同じという現象は、国内の各地域で同じというだけでなく、全世界で同じ!という凄いことに気づいてしまいました。近い将来、お彼岸を全世界で共有するイベントなど企画すると盛り上がる気がします。当たり前の気づきのようですが、今のところイベントなどが存在しないとすれば、少し嬉しい気持ちです。

さて、現代においては、分からないことはスマホやPCですぐに調べることができます。今回も国立天文台などのサイトがヒットして、いくつかの記事を読んでみると、お彼岸には、実は昼間が少し長く、その理由が詳しく2つ書かれていました。そうなのです。学校教育って、いきなり専門的なことを教えようとするけれど、先ずは大枠の疑問とその答えを分かりやすく説明して欲しかったと思いませんか?現在は改善されているようでしたら、教育関係者には申し訳なく、国立機関としては詳しく専門的に解説しなければという使命は理解しているつもりですので、こちらの関係者にも申し訳ありません。

今回の気付きを通して、自然現象の地域差と共通性について、もう少し思いを馳せてみようと思います。東京オリパラ2020を一つのきっかけに、多様性の大切さ気付くことができました。一方で、意外な共通性にも共感できる面があるのではないでしょうか。

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記憶する力を与えられた生き物の宿命

慣れ親しんだ地域の良さは、ずっとその地域で生活を続けていると気付けなくなってしまいます。常に見た、聞いた体験を瞬時に忘れてしまうことを想像してみると、体験の新鮮さが失われるのは、無意識に記憶していることに因るのだと理解できます。年齢とともに日々が過ぎるのが早く感じるのは、毎日の暮らしが経験、言い換えると記憶の下の繰り返しであるからだと説明されています。同じ道路の行き帰り、帰り道の方が早く感じるのも同じ理由です。

新しい体験ができる旅行の良さには、住んでいる地域の良さを再確認できることも含まれるのですが、残念ながら今はコロナ禍のためにどうしようもありません。テレビの旅番組や、もっと云えば、デパ地下の店舗紹介をしてくれているのを見て疑似体験をするのが楽しみになっています。

さて、ここにきて、新型コロナウイルス陽性者数が、東京で5,000人超えで高止まり、全国で25,000人超えで増え続けている状況です。緊急事態宣言慣れなどといった考察がなされていますが、我々は、宣言だけでなく、この一年以上に亘るすべての事柄を無意識に記憶し、それらに対する慣れを体得しています。クラスター発生というニュースへの反応、身近に感染者が出た際の、関係者のPCR検査が出るまでの緊張感、全てに関して、今までは大丈夫だったという記憶が各自にあることは間違いありません。

記憶する力を与えられた生き物は、記憶することにより多大なる安心感を獲得しています。一方で、旅を通して、転居を通して、体験を多様化する術も身につけています。ここにきて後者に難しさが出てきています。しかし、そこを克服する方策を考える必要があります。我慢ばかりではなく、疑似体験や、頑張ることにより体得できるものをもっと前面に見える化するのが一手ではないでしょうか。

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もともとテレビ観戦でしょ: オリパラ2020

緊急事態宣言が出ていることもあって、国立競技場を含めて競技会場の近くに行っていないのですが、通勤時間帯の地下鉄車内などではオリンピックが開催されている雰囲気が全く感じられません。大きめの道路では、大会関係者の移動用に準備された大型観光バスや白地にブルーあるいはピンク系にプリントされたTOKYO2020専用のミニバンを時折見かける程度です。

東京都内か近郊に住むヒト達の間では、2年前、2019年の春に観戦チケットの販売が開始された時期に少し話題になりましたが、手頃な価格帯の席は競争率が高く、その頃からもともとテレビ観戦でしょ、という気分でいました。東京から日帰りの距離でない地域の方からは、観戦チケットについては話題にも上がらないようなことも聞いていました。

むしろ大会が始まる頃から報道されるようになった、各国のホームタウンを引き受けて生徒さん達を含めて歓迎体制を準備された地域の方々においては、コロナ禍で種々対策が大変であったことは想像できますが、大会が開催されている東京や福島を含むいくつかの県内よりもオリパラを身近に感じておられるようにも思います。

オリンピック開催の是非が話題になっていた頃、数字の上での感染拡大の可能性、逆に大丈夫だと考える根拠を様々な方が語っていましたし、自分でもそれなりの考えはありました。しかし、自分も含めて、集団の気持ちの持ちようを的確に予想したヒトが多かったようには思えません。オリンピックをテレビで観ないヒト達が、普通の生活、会食をするなと云われる理由を見つけることは難しい。オリパラはもともとテレビ観戦でしょ、と思っている視野を広げた方が良いかなと感じています。