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五稜星でつながる発展の歴史

本州から北海道への旅行には飛行機か、函館北斗駅までの新幹線、自家用車で移動したい場合にはフェリーを利用するなどお好みの選択肢があります。時間が取れない場合は、羽田空港から飛行機に乗って1時間余りで行けてしまう気軽さです。一方、1988年(昭和63年)までは、列車で青森駅まで、更に青函連絡船で函館駅へ渡る経路が比較的安価で旅行にも利用されていました。札幌は今よりも憧れ感が強かったように思います。旅行してきたヒトが言いました。「時計台は周囲がビルで囲まれていてイメージと違っていた。」札幌に行って来たヒトだけが語れる情報であり、旅行パンフレットの周囲切取り写真を情報源とするヒト達は頷くばかりだったことは云うまでもありません。一方、今回の札幌紀行の中で強調したいのは、時計台周辺はどうでもよろしい。僅かな観覧料を支払って木製床の展示室を歩き、様々な資料を見てこその札幌時計台だということです。建物体感について、木造校舎を体験している昭和の方達は学童時代に戻る感覚かも知れません。平成、令和の方達は、ディズニィーのアトラクションを連想するかも知れません。展示資料の中には建物維持の歴史を語る改修前の木製建材も含まれます。また、今回の訪問時にボランティアの案内人の方から伺ったように、明治時代特有の、当時の世代を超えた開拓精神を感じることができます。いずれにしても、札幌時計台は時間を確保して中に入らないといけません。

札幌時計台の正面には五稜星 と呼ばれる赤い星のエンブレムが輝いています。中島公園にある洋館ホテルの豊平館や後述のビール工場にも五稜星があります。開拓使時代の不安が混じった希望のシンボルとされています。「丸くなるな 星になれ」というコピーも思い出しました。

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