羽田空港を発着する飛行機から眼下を眺めると、関東平野一面に建てられたビルや住宅が密集する風景が終わりなく広がっています。平野に大きな山はありません。一方、都心や周囲の住宅地を歩くと、在住の方は慣れっこになっていますが、坂道が多く、中には結構な勾配により自転車で上るのがつらい場所もあることに気付きます。坂道系のアイドルグループ名の由来である乃木坂や日向坂(にゅうがざか)などがその良い例です。これらは、太古の昔から1707年の宝永大噴火にわたる、富士山からの火山灰の堆積によるものであり、よってこの地域の土壌は、社会科で習った、関東ローム層(赤土)で被われています。
現代の東京都内では、建物やアスファルトで地面を見ることが殆どできません。ただ、住宅の建て替え現場で更地になっている場所を訪れると、特に土が水分を含む場合は、想像以上に真っ黒あるいは赤黒い、泥あるいは粘土に近いような土を見ることができます。このような更地の中に足を踏入れると、靴にしっかりと土がへばりついて、その足で周囲を歩くと、大変な汚れを広げることになります。


都内の地形を詳しくみると、このような関東ローム層で覆われた山手に加え、堆積平野からなる部分や、徳川家康の時代に埋め立てられた湿地だった部分が含まれます。富士山の火山活動を含む自然の力により形成された地形を生かしつつ、政策的にヒトの手を加えながら、現在の巨大都市へと変貌を遂げてきました。
日本国内において、江戸時代には東京(当時の江戸)に通じる五街道が整備されましたが、陸路については西洋のように馬車を使った輸送手段が十分ではなく(https://regionalfeature.com/飛脚という職業)、船を使って米を中心とした物資を運ぶ手段が主流でした。西廻りの海運としては北前船が有名ですが(https://regionalfeature.com/izumoji)、東廻りの海運については、1671年(寛文11年)に江戸幕府の命を受けた河村瑞賢が尽力し、利根川を介する経路ではなく、東京湾に直接入る航路を開設しました。1802年(享和2年)に北海道(蝦夷)全体が松前藩から江戸幕府の直轄地になってからは、北海道と東京との物資輸送も盛んになりました。それ以降、広大な関東平野と東京湾を介する物資の輸送経路が確立されて、現在の東京が経済の中心地になってゆきます。
東京は、諸外国における国際都市の中でも坂道の多い特異性があると云われています。その背景には、日本を代表する風景であり象徴でもある富士山の存在が深く関っていることを改めて確認できればと思います。

阪神・淡路大地震、東日本大震災、能登半島地震と、近年における多くの犠牲者の方々に思いを致しつつ、我々が目指す方向性を改めて考えてみました。目前の目標として被災された方々の生活の正常化は待ったなし、中期的な目標として地域の文化的なハード、ソフトの継承は日本がこれまで通り力強くあるために必要不可欠、そして長期的な目標としては、我々が保有している人的・物的資源が有限であることを鑑み、より豊かな生活を目指して、拡張政策から現在保有している資産の有効活用に舵を切ることが必要ではないでしょうか。