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携帯電話と昔ながらの掲示板

電車で通勤していると、携帯電話を見つめながら改札前で急に立ち止まる方、正面から来る人を雰囲気で察知しながら前進している方がいるのを相変わらず目にします。多分、家族や職場から急ぎの連絡が入った時など限定的な場面だけでなく、たまたま読み始めた記事から一時も目を離せないなど、他者にとっては「ながらスマホ」しなければいけない理由が理解できない場面も多々含まれていると想像しています。スマホ依存症と云われる日常生活に支障がでるような極端な状況にまで至らなくても、当事者だけでなく、少し大袈裟ですが世の中の情勢にも影響するように思えることについて、少し考えてみました。

昔ながらの掲示板は、スマホがない環境においても、大切な情報を伝えています。

通勤、通学経路にて、上を見上げて雲一つない青空を感じたり、お屋敷の庭に咲いた季節の花に癒されたり、町内会のお知らせ板、地域センターなど公共施設の掲示板、店先のおすすめメニューなど、様々な掲示物の前で足を止めて見るわけではないけれども、自分にとって役立つ情報ばかりではないけれども、何気ない日常の中で暮らしていること、季節が流れているのを感じます。また、毎朝すれ違う学生さんやプラットホームの同じ場所で同じ時間に電車を待つ同年代のサラリーマンなども記憶に残ります。それらは、自然や他者との中に日々暮らしている、何かしら心をほぐしてくれる作用があるようにも思っています。

お屋敷の前庭にきれいに配置された垂れ梅に癒されます。

一方、携帯電話の中にある、電子メールやLINEなどのメッセンジャー機能、インターネットを通じた情報検索機能は間違いなく便利で、生活、学習、仕事上で不可欠な道具になっています。メッセンジャー機能に関しては、時間と空間を問わず、更に相手に「今時間大丈夫ですか?」と確認することなく、文字を使って会話をすることができます。反面、時間と空間を問わなくなった分、文字での会話に費やす時間が格段に増えて、仕事時間の一定量をメール「処理」することに費やすことが日常化しています。情報検索機能に関しては、昭和の時代には高価な大百科事典、あるいは各専門分野の辞書で調べていた内容が、しかも常にアップデートされている内容を無料で手にいれることができるようになった、と表現された方がいらっしゃいました。正にその通りで、辞典や辞書はその内容が十分に吟味されていたのに比べて内容の不確かさがあるので情報を選別する必要はありますが、何せ瞬時に欲しい情報が手に入ります。しかし、これらの優れた機能に対して気になっている点は、自分と相手方(会話の相手、情報)に届くまでの間に過程がない、無駄が全くないことです。自分と相手方の一騎打ち、間に居てくれる家族、友人、同僚、取り次いでくれる担当者、一切の介在がありません。そのような環境がネット炎上に深刻に悩む状況、休日も仕事上の相手と顔を合わせることが可能な状況、情報内容だけでなく情報量の多さにより真実と勘違いする可能性がある状況を生み出しています。その結果、表立った障害にはなっていないものの、各個人が大小のストレスを感じ、社会全体のコミュニケーション不足が蔓延する環境になっている可能性があります。

たまには青空を見上げてみることも大切だと思います。

スマホが普及し始めた当初、子供に持たせるかどうかを親たちは真剣に考えていました。けれどもスマホが子供の安全確保のために必要(これも真実かどうか分かりませんが)と考えられるようになり、親達の選択も不要になったように思います。歩いている間だけでも視線を、手を、携帯電話から放して、周囲を眺め、自分の考えを整理する時間に充てつつ、現在日常化していることが最上の方向性なのかどうか考えてみることも必要ではないでしょうか。昔ながらの町内会や公共施設の掲示板に時に目を向け、大事なスケジュールはメモに、記憶に留めて、遠距離の相手には、思いついた時だけでも電話で話し、子供にはひと声余分に声をかけ、インターネットでの検索に加えて、頼れる人に聞いて、相談してみる。5年後、10年後には必ずテクノロジーは更に進歩し、人々はその進歩に順応していることは間違いありません。そのような中にあっても、生活環境や人との直接的な関わりについて少し心掛けを見直してみることにより、テクノロジーの進歩の中に軋みを上げることなく、人々の暮らし、人間関係が穏やかな雰囲気に包まれていることを願っています。

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地域の日中の風景は?

所謂サラリーマンの比率の推移は、現代社会と近未来を考える上で大切な数字のように思います。1953(昭和28)年 42%、1959(昭和34)年 50%、1993(平成5)年 80%、2005(平成17)年 85%、現代社会においては、8割以上がサラリーマンです。勤務時間が朝から夕方までの方々が多いため、日中は自宅にはいない上に、当該時間帯に自分が住んでいる地域の様子を想像する機会すら殆どないのが実情ではないでしょうか。今回は、個人の日常生活、あるいは過去と未来のライフステージを振り返り、思い浮かべながら、自分自身が、あるいは家族がともに生活している地域の日常風景を再認識してみることにしました。

シャッター商店街という言葉があり、そのような地域も存在します。一方で、新型コロナウイルス禍がやや落ち着き始めてから私自身が訪れた街の中では、仙台市内の商店街が良い雰囲気で賑わっていたように思います。東京都内では、個人的な印象ですが、戸越銀座などが、一軒一軒、印象深い気がします。シャッター商店街の各々のお店には、今で言う合同会社の代表であるご主人、女将さんと数人の従業員の方がいらして、地域の方たちと日常会話を交わしながら土地と一体化していました。

大型ショッピングセンターを否定するわけではありません。仕入れの効率化だけでなく、厳しい管理体制の構築、各種対応にも多大な貢献をしています。ただ、ここで街の見栄えとは別の切り口で大きな変化が起こりました。商品を扱う人達全員がサラリーマンになってしまったのです。夕飯の食材を買いに出かけた場面において、日常会話は殆どなく、土地との一体感は‥高層建築の2階以上が地面に接していないことも多少関連するかも分かりませんが、一体感を感じる術がありません。

サラリーマン比率が大幅に増加した平成の30年以上を働いてきた一定割合の方達は定年を迎えられています。皆さんどのように過ごされているのでしょうか。楠木新さんの「定年準備」を読みましたが、平日昼間の公共図書館などに、充実した生き方を目指す方達の姿があるようです。街の外見が時代とともに変化するのは時の流れに任せつつ、目に見えない部分である関係者が地域に貢献する方策を模索し、住み心地の良い内面を次世代に繋げて行きましょう。(因みに筆者は当該年齢に到達し、一人一人が一歩づつ前に進むことで、生活環境が見違えるほど変化すると信じています。)

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JR東海:4時間遅延

2022年12月18日(日)午後1時過ぎ、JR東海、新幹線の三河安城駅と豊橋駅の間で停電がありました。私が乗り合わせたのぞみ18号東京行きは、名古屋駅を出たあとほどなく停車。普段は相当のスピードによってさほど気にならない線路端の背の高い冬の雑草やフェンスが目につきます。余り心地よくない風景を眺めながらも、すぐに発車するだろうと呑気に考えるのは、楽観的に捉え勝ちな自己防衛の本能だったのでしょう。
「原因を調査中です」のアナウンスが数回繰り返された後、静かに車両が動き始めます。「上りの送電が再開されました」のアナウンス。上りだけ再開されても、東京駅のプラットホームはすぐに満杯になってしまいます。
やはり10分ほどで再停車。「架線の状態を確認しています」。アナウンスによると、上りののぞみ18号を停電区間の三河安城駅と豊橋駅の間で停車させて、テスト車両として使っているようです。以降は、異常事態ながらの車内の落ち着いた対応状況です。

三河安城付近。普段は高速で流れてしまっている何気ない風景です。

上りは送電できるようですが、架線点検とその後の復旧作業のために再び停電状態です。早い時期のアナウンスにて、直射日光の差し込む右側の乗客に「差し支えのない範囲でブラインドを下げて下さい」。ほぼ全て静かに対応されましたが、それでも空調がないため室内は徐々に暑くなってゆきました。N700系8号車にある車掌室では最寄りの駅か指令室らしきところと盛んに車内対応の情報共有がなされています。どこのハッチを解放して換気するか、水の流れないトイレの代用など…。
それでも、最終的に4時間の遅延にて、小さいお子さん連れの親御さんとトイレが大変そうでした。

作業は続けられていますが「時間がかかる見込み」以外に情報はなく、車内アナウンスの復旧見込み時間も、ネット情報と同じタイミングでした。報道のものとみられるヘリコプターの音も聞こえます。
日が落ちると車内が冷え始めます。
暗さも異常事態であることを再認識させました。
復旧したのは17:10頃だったでしょうか。豊橋駅に臨時停車して、やむを得ず旅程変更して名古屋方面に戻る人達が下車したのが17:25。ほぼ全ての食料品が早々に売り切れながらも、ワゴン販売が再開され、唯一の提供品のホットコーヒーがよく出ているようでした。
復旧直前ののぞみ18号には、+236の遅延時間が表示されています。

出張目的の人達は、携帯電話で会社に連絡するなど、ほぼタイムリーに対応が取れ、その他の旅行客なども概ね落ち着いておられた印象でした。大きな要因は、車内が停電状態でも、携帯などの充電が切れない限りは、家族などと自由に連絡が取れることによる気持ちの余裕だと思いました。新幹線にせよ、携帯にせよ、現代社会が電気頼りであることを再認識した半日でした。

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湯沢町

越後湯沢(新潟県湯沢町)は、広大なゲレンデを誇る苗場スキー場の玄関口になっており、湯沢エリアにも人気の高い多くのスキー場があり、正にこれからの季節を迎えようとしています。今年は積雪が少し遅れていますが、静かにシーズンの訪れを待つ町を訪れてみました。

東京駅から1時間20分で到着です。
11月中旬に一度積雪がみられましたが、今のところウィンタースポーツの雰囲気はありません。
駅中が充実しています。湯沢町は、何といっても、名作雪国の舞台ですね。
広い土産物街には、名物のへぎ蕎麦や木工品なども並びますが、日本酒の品揃えは圧巻です。
幸せを呼ぶ傘つるし雛は、県内に3基あるうちのひとつだとか。こちらのテーマは雪うさぎです。

時間が許せば、ゆったりと湯沢町に足を運んでみませんか?

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渉成園

京都市街の地図を遠くに眺めると、三方が山に囲まれ、東西に鴨川と桂川が流れる間に碁盤の目のような道路が行き交い、その中に大きな緑地がいくつか目立ちます。上京(かみぎょう)寄りにある京都御所が一際大きく、西方寄りに二条城、中京(なかぎょう)の東西に本願寺があります。京都駅、JR東海道線より北側では、山沿いにも多くの神社仏閣があります。一方、南側は羅生門跡が近い地域になり、東寺、そして山裾には、東福寺や伏見稲荷大社などが散見される状態になります。

少し近づいて注意深く見ると、碁盤の目の中に更に大小の寺社、庭園があるのに気づきます。その中でも今回は、京都駅からほど近い、渉成園を訪れてみました。徳川家光から東本願寺に寄進された土地に1653年、庭園が築かれましたが、建造物は蛤御門の変にて焼失したようです。現在みられるものは後に再建されたものですが、庭園全体は、街中にありながら大変穏やかで心落ちつく空間になっています。

京都駅に程近い市街地の中にありながら、大変落ち着いた雰囲気の空間になっています。

渉成園までの道程は、京都駅から烏丸通りを北に向かいます。左手に京都ヨドバシ(以前は京都近鉄、更に遡ると丸物百貨店がありました)の大きな建物を見ながら進みます。

七条の交差点(左前の角は東本願寺)を右へ、年金機構の大きな道案内を左に曲がってしばらく歩くと、右手に入園口があります。

大小形が多様な素材が組み合わされた高石垣にむかえられ、園内には、書院、持仏堂など落ち着いた雰囲気の建造物のほか、渉成園の中心となる広い園池には、回棹廊などの木橋がかけられ、歩いて渡ることができます。

園内には小川が流れ、古くは高瀬川から水が引かれていたようですが、現在は地下水を汲み上げ、そのせせらぎが渉成園の最も魅力的なところのひとつだと思います。

京都の町並みには様々な魅力が満載ですが、歴史が感じられる落ち着いた雰囲気の中に身をおいて時間を過ごすのも良いものだと感じました。

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川崎大師・川崎港

来年の5月頃から、弘法大師のご誕生1250年を記念した行事が各地で催されます。

首都圏で初詣に訪れる参拝者数が屈指の寺社の一つ、川崎大師にお参りしてきました。これと云った特別の理由はありませんでしたが、高明な厄除大師様であり、個人的には、近頃は大きな災禍がなく、ここで意識的に引き締めておきたいと思ったこと、また国内外では、天災、人災、様々な出来事があり、少し落ち着いて皆が幸せに暮らせるようにとの思いがあったのかも分かりません。

夕刻が迫っていたことから、真っ直ぐに大本堂に向かいました。

美しい大山門も流石の安定感です。

土産物として、開運達磨が有名で、毎年、前年よりも一回り大きいものを求めてゆくのが慣習だそうです。また、久寿餅は手のひらより一回り大きいサイズで何枚単位で販売されています(食べやすくカットされています)。2枚入りの箱でもずっしりと重量感があります。きな粉と黒蜜をかけて頂きますが、あっさり素朴にもっちりした食感を自宅で楽しませて頂きました。

川崎市は、京浜工業地帯のど真ん中です。川崎港に向かうことにしました。工業地帯を通り、突如現れる海底トンネルを抜け、臨港地区内にある川崎市港湾振興会館(川崎マリエン)に到着しました。

人々が川崎港に親しみ、加えてスポーツや文化の振興を図るために設けられた広々とした施設です。10階展望室は360°見渡せる上、何と無料です。

日本の経済を支えている工業地帯です。これからも多くの人々の生活を支えてゆく大切な存在である一方で、温暖化など地球の環境変化を食い止める議論も益々活発になっています。人間の営みの中で生まれる自然と共生するためのバランス、あるいは争いごとへの対処などについて、様々な立場からの意見を結集し、如何に良い方向性を見出してゆくか、我々の能力が問われている正念場であることを改めて感じる時間でした。

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都市の街路樹

出張や帰省などで新幹線に乗って2030分でしょうか。車窓から田園風景、あるいは遠近の山々を目にして、思わず心が癒される感覚になります。都心での地下鉄通勤などに慣れてしまっていると、森、林、木々の緑などを意識することがなく、草木の緑に心を和ませる感覚が退化してしまっているような気がしています。

実は、東京都内など、大きな都市においても、皇居を筆頭に、寺院、公園など、自然に生えた樹木ではありませんが、木々に接することは難しくありません。ところが、視界の中にアスファルトやビルのモノクロな色調の占める割合が多いところで生活していると、冒頭に記しましたように、樹木を意識するアンテナを自らが持っていること自体を忘れてしまうような気がしてなりません。

東京都内の大通りには、古くから良く知られた街路樹が幾つもあります。甲州街道のけやき並木は、八王子方面に向かうと銀杏並木になり、黄葉の季節には、日当たりも関係すると思いますが、八王子に近づくにつれ、徐々に黄色の美しさが増してゆくことが体感できます。銀杏といえば、神宮外苑の並木もとても有名です。

住まいの近くにある街路樹は、思い返してみると身近な存在でした。片側1車線のバス通りにはアメリカハナミヅキが並び、春になると淡いピンク色、または白い花が季節の変わり目を知らせてくれます。

片側3車線(場所により2車線)の環七通りには大きな街路樹があり、今月半ばの日差しが厳しかった時期には、信号待ちの僅かな時間に、日陰を借りていたのを思い出しました。因みに、この通りは、1964年の1回目の東京オリンピックの際に整備されたとのことで、街路樹も60年近い歴史を背景にしているものと思います。

龍雲寺交差点付近は、楠が大きく育っています。
プラタナスや‥
けやきも混在しています。

一方、同じ規模の山手通りを見ると、現在は街路樹がありません。2015年に開通した山手トンネル(首都高速中央環状線の一部)が地下を走っていて、現在地上部分の整備中だと思われますが、大木が根を張るスペースが限られているため、他の街道筋とは少し違ったイメージに発展するかも分かりません。

中目黒駅付近の山手通り。

都市に暮らしている中においても、身近な樹木に目を向けて、自らも癒されつつ、木々が健やかに維持されるように考えて行ければと考えています。

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立山に守られる地域の言い伝えとサイエンス

今年の619日の珠洲市を中心とした震度6弱の地震以降、しばらく強い揺れが続いていました。石川県内でも能登半島にあるこの地域は、2007年(平成19年)3月に輪島市を中心とした能登半島地震が発生するまでは地震空白地帯と認識されていたようですが、実は、ユーラシアプレートに続くアムールプレートと、隣接するオホーツクプレートの境界部にあたるとされ、今後の動きが気になります。

ところで、6月の地震発生時に、富山県内では富山市で震度3、高岡市、氷見市で震度2に留まり、地元では「立山が守ってくれている」という、地域外の者が聞くと少し首を傾げるようなことが囁かれていたと聞きました。調べてみると、能登半島地震の際には富山県内でも震度5の揺れが観測されています。高岡市での震度5の記録がある1930年(昭和5年)の大聖寺地震以来とのことですので、確かにお隣の石川県に比べると強い地震は少ないようにも思われます。また、2007年(平成19年)の新潟県中越沖地震の時には、新潟県や長野県では震度6が記録されたのに対して、富山県では震度3にとどまっていたような事実が一つのポイントのようです。

氷見市の海岸から富山湾を隔てて立山連峰を望む。

立山連邦の地下にある水を含む巨大なマグマだまり、あるいは水を含む岩石によるものとする科学的な検証がなされているようです。地域外の専門外の者には、能登半島側の揺れを和らげてくれるようには思えないことから、地元の方には、いざという時のために、是非とも備えて頂ければと思います。

富山県の豊かな食材と文化

天然の生簀と呼ばれる富山湾を擁することから、有名なホタルイカの他にも多くのキトキト(新鮮)な海産物が楽しめます。白エビがまとまった量漁れるのは富山だけとのことで、土産物屋にはあまりに沢山の関連商品が並べられていて、富山の海から白エビがいなくなってしまうのでは‥と少し心配になりました。ノドグロも美味しく頂けます。視点を農産品に転じると、米どころ富山で新しく開発された富富富(ふふふ)、氷見の牛肉は氷見牛、お隣の高岡の牛肉は万葉牛など、味だけでなく命名も興味深く感じます。

JR氷見線。富山湾の海岸線をゆったりと巡ります。

文化面においても、万葉のふるさとと呼ばれる高岡市を始めとして歴史も古く、ゆっくりと訪れたい地域だと思いました。

高岡市内の高岡山(こうこうざん)瑞龍寺。富山県内で唯一の国宝建築物です。

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多世代が地域に暮らすということ

国内の各地域を見渡すと、人々が永く暮らし続けている地域や、新たに造成されて人々が暮らし始められた地域など、様々だと思います。後者の場合、1世代目は似通った世代に偏りがちになりますが、2世代目以降になると、徐々に入り混じった世代が同じ地域に暮らすことになります。

世代差を測る基準はいくつかあると思いますが、例えば各家庭の子供の年齢です。就学前あるいは中学生までの子供のいる世代、高校生から大学生以上の子供がいる世代、子供が独立した世代。各々、日常生活における1日の流れ自体が違ってくるし、共有できる行事などがない限り、お互いの交流の場もできづらいことになります。

コロナ禍の中で、地域の祭りを再開させるような変化が起こっているケースもあります。地元の行事・活動が活発だと感じられたのは、人々が永く暮らしを続けている地域が大半であった、昭和の中期頃までのことでしょうか。一方、人々が新たに暮らし始めた地域で、2世代目以降の多世代が同じ地域に暮らしているものの、伝統の活動などがない地域が多くなっています。令和の現代にあって、益々増えつつあるこのような地域の場合、どのような形で交流すべきなのか、交流など不要なのか、どういう姿が理想なのでしょうか。子供が独立した世代、地域では年長者にあたる人々が、先ずはどのような立ち位置にいるかは、少なからず影響を及ぼすのかと思います。

私は教育者ではありませんが、大学などで教員をしている知人に聞いてみたことがあります。随分年齢が離れた学生さんに対して、私などはどのように接して良いのか想像できないが、実際はどういう状況なのかと。一人ではなく、複数の知人の淀みない答えとして、自分が学生だった頃を振返り、して貰いたかったこと、その逆のことを思い出してみるのです、ということでした。教員教育の中に、そのような指針が示されているのかも分かりませんが、地域で暮らすことを考える中にも、一つの糸口を与えてくれているように思っています。

住人一人ひとりが隣人との関わりについて少しでも考える心持ちがあることが望ましいと思います。加えて、お祭りは、日本中の随所にある大小の神社のような、共通の存在、居場所、拠り所の象徴です。そのような共有できる存在を再確認してみる、そのような活動も大切なように感じています。

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仙台の活力と優しさ

2022年3月16日の深夜にM7.4の福島県沖地震発生しました。昨年2021年2月13日にはほぼ同じ場所でM7.3の地震がありましたが、我々の記憶には確かな数字は残っていないものの、11年前のM9の超巨大地震である東日本大震災以降、M7以上の地震は今回の福島県沖地震で12回目だそうです。今回の地震により、白石蔵王駅近で東北新幹線が脱線した映像は大きく記憶に残り、地震の強さが印象付けられました。その後の報道では、一部徐行区間を残しながら東北新幹線4月14日に全線で運転再開、5月13日には通常ダイヤでの運転を再開したと報道されていましたので、当該地域外に暮らしている私としては、ほぼ元通りになったものと安堵していたところです。ただそれは、地域の主要な都市、仙台と東京などとの業務上の支障がほぼ解消されたという意味合いであり、災害による影響を全て元通りに戻すためには想像以上の作業が必要になるものと思われます。

因みに、JR東日本が4月時点で発表している内容では、今回の地震の復旧に伴う架線金具等の損傷約550か所、軌道変位・損傷が約300か所を含め約1,000か所以上の修繕が必要とのことです。脱線した車両を含む損額は150200億円、運休などによる減収は120億円と見込まれています。そのような前知識を持たずに、通常ダイヤに戻った東北新幹線にて、所用により杜の都、仙台に行ってきました。晴れた平日の大通りには通勤の徒歩や自転車の人々が行き交い、青葉通には新緑のケヤキが、青空と日の光とともに美しいコントラストを織りなしていました。

中央分離帯にも大きなけやきがあり、正に杜の都のメインストリートです。

本ブログの随所で取上げてきた地域の博物館ですが、今回は仙台市博物館に足を運んでみたところ‥何と‥一歩も立ち入れない状態で、休館になっていました。これも地震の影響か‥と調べてみたところ、設備更新のため昨年の秋から計画的に休館されているとのことでした。災害の影響による計画外の対応が一つでも消去されたようで、少しの安堵です。

仙台市博物館は、計画休館中です。

帰路、仙台駅で昼食を頂いて行くことにしました。選んだのは、奥州ろばた センダイエキ天海 。魅力的な昼定食の中で選んだのは、金華サバづくし定食です。他にも種々ありましたが、やはり仙台の地ならではの品を選びました。刺身は勿論絶品ですが、メインはしっかり焼いた開きです。箸で取りづらい硬くなった端っこの身の部分の旨みをしっかりと頂きました。また、味だけでなく、とてもゆったりした時間を過ごさせて頂き、退席の時には目の前の調理人の方、接客との中継ぎのような方、そして席への誘導から会計までしてくれた方にも思わず、有難う、と気持ちをお伝えしました。多分、お客のために、と頑張っておられるのではなく、居心地良くお仕事をされている裏返しのように感じました。