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地域の高齢者の暮らし

都市部あるいは地方の何れにおいても、高齢者の暮らしは様々であろうと想像されます。地方では持ち家に住まわれてきた方が多く、高齢者がご夫婦で、またはお一人で頑張っておられる方も多いのではないでしょうか。一方、遡ること70年以上前のお話ですが、今のように社会保険制度の整備が進む前、1950年に生活保護法が制定されたときに、経済的に生活が難しい方たちに向けた「養老院」という施設ができ、1963年に老人福祉法が制定されて、高齢者になっても生きがいをもって健全で安らかな生活ができるよう、現在のような「老人ホーム」と呼ばれる施設が整備されていくことになりますが、施設の運営は税金で賄われる形がとられていました。

その後も何度か法制度が改正され、1987年に住宅政策を担う建設省(現在の国土交通省)が高齢者住宅の運営に加わり、更に2000年における介護保険法の制定により、40歳以上になると各自が徴収される介護保険料を加えた形で公的な社会保障(厚生労働省の担当)が運営されるようになって、高齢者のための住まいとサービスはとても複雑な建付けになっています。そのような中、高齢者のための賃貸住宅である「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」の戸数が大幅に増え、サ高住に転居した上で介護サービスは訪問介護を受ける高齢者が多くなっているとのことです。

親子揃って地域に根差した生活を続けている方においては、冒頭の持ち家で親子同居、あるいは近所で別居されている形が、お互いにとって安心で、心身ともに健やかな生活が続けられるように思います。但し、進学や就職により地元を離れて生活していくうちに、母親や父親が高齢になり、親だけ遠く離れたところで生活してもらうのが難しくなった場合などにおいては、上述のような高齢者のための住宅制度を利用して近くに引越して貰うことが必要になるでしょう。社会保障制度が徐々に整備され、多くの方が介護保険料を払ってきている訳ですから、親子同居であっても、サ高住などに転居された場合においても、利用できる介護サービスを受けつつ、親子ともに健全で安らかな生活が続けられることを目指すのが一般的な考え方になっていると認識しています。

各々の地域の発展は、そこに暮らす人たちが幸せにしていられることが前提条件になります。日本国内では今後益々高齢化が進み、社会保障制度を維持してゆくのも難しい時代になっていることは周知の通りですが、大企業や中小企業の頑張りとともに、各々の地域においてその優位性を見出しつつ、地域産業を少しでも発展させることを考えてゆく必要がありそうです。

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働くことが地域の活性化に!

学生時代に終止符を打って進路に迷っているひと、家庭の事情などで元の勤務先を離れているひと、定年などで退職して時間に余裕のあるひと、それぞれの地域の中で、あるいは今いる地域から国内外の別の地域に活動の場を移すことを考えているひともいるかも分かりません。旅をしながらこれからの人生を考えてゆこう、ボランティアなどを通して地域の人達の役に立とう、アルバイトをしながら取敢えず生活の糧を得よう、など様々な考え方があると思います。一方で、定職に就きたいのだけれど思うような企業への採用が叶わない、満足できる条件のところが見つからない、60歳を超えると求人そのものが限定的になる、などといった立ち位置にいるひとも多くいるに違いありません。

ひとそれぞれに立ち止まる時期、考える時期、迷う時期、先が見通せずに不安で一杯の時期などとても大切でしょう。このような時期は充電期間と呼ばれることもあります。一方で、他者との関係を考えた場合、立ち止まっているよりも、進む方向に迷いつつ、考え方が似ていて共感できそうなひとや考え方が違いつつも得られることが見込まれるひとと話しをしてみるなど、少しでも前に歩き始めることが、自分の周囲の空気を少し振動させることに繋がるのではないでしょうか。また、自分に合った仕事を見つけるとき、必ずしも1週間に5日間毎日、などと捕らわれる必要はなく、また、毎日同じ職場で働くのではなく、言い換えると〇〇に勤めています、という自己紹介ができる必要はなく、2つ3つ掛け持ちで働くという選択肢もあります。

大中小関わらず企業の経営者は顧客目線で世の中の役に立つこと、法人税を納めることによる社会貢献、従業員の生活を確保することなどが大切だと語っています。それらの裏返しにもなりますが、堅調な経営を続けるためには従業員の採用には慎重にならざるを得ない部分もあるでしょう。毎日の賃金は払えないけれど、週に2日間なら来てほしい。個人の立場としては、社会保険料の半額を企業が負担してくれる日数は確保したい、あるいは逆に、配偶者の扶養から外れることのない時間内に留めたいとの立場もあります。企業側、個人側の多様なニーズを少しでも充足させるためには、企業側が多様な選択肢を提示すると同時に、個人側も生活の糧を得るために、少しでも生活を豊かにするために、自ら決めた条件を減らしつつ、何かしら仕事を始めてみる価値は大きいと思います。

映画の世界ではありませんが、日々地域を渡り歩きながら生活をしている方も中にはいます。しかし大多数のひとは、生まれ育った地域、あるいは諸事情により遠く離れた地域で様々な経歴の人達が入り混じった地域に留まって生活しています。一人ひとりが少しでも前に前に歩き始めること、働き始めたら朝起きることがつらい日があっても何とか頑張り続けることが自分の周囲の空気を振動させ、ひいては各々の地域の活性化に繋がることは間違いありません。そうすることで社会の風通しを良くし、自分の生活にも反映させることを期待すると考えるのはいかがでしょうか。

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思い思いのハロウィン

もともとはキリスト教の記念日であるハロウィンですが、日本国内でも平成の時代になってからでしょうか、すっかりと10月後半になると毎年耳にする定番のイベントとなりました。

駅前商店街では、日曜日にスタンプラリーが開催され、7~8人の親子連れの小集団と何度もすれ違いました。黒いとんがり帽子の魔女や、髭を生やした小さなスーパーマリオなどが大勢繰り出している風景をみて、こちらも楽しい気分になりました。

渋谷では、大人のハロウィンへの警戒感が高まっていました。昨年の韓国での事故の記憶も新しく、渋谷区としては苦渋の事前対策が強化され、過去には思いもよらなかった看板も掲示されました。

混雑が予想される夕方以降の時間に先立ってスルランブル交差点近くを通りかかると、付近の道路の4車線中2車線を大型の警察車両が埋め尽くすように、警察官を乗せて集まっていました。この雰囲気では、仮装を楽しむ若者も気が緩めれないかな?という印象でした。案の定、翌日のニュースを見ると、殆ど人が集まらなかったとのことです。

各自が思い思いに楽しめるイベント、来年はどのような形で残る2か月に彩りを与えてくれるか、楽しみにしたいと思います。

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神在月前の出雲路への旅

コロナ禍以降、仕事での出張や親戚筋の法事などでの移動は時折ありましたが、プライベートの旅行をこの9月、久しぶりに満喫してきました。島根県方面、とても風光明媚なところとの話を聞く一方、鳥取県も含めて旅程に入れたほうが良いなどのご助言も頂きつつ、日程一杯、島根県内をレンタカーで巡ってきました。出雲大社は勿論ですが、いくつかの有名な神社を訪れつつ、日本の対外的優位性を支えることで現在の国力に貢献したと認識した石見銀山方面、数ある温泉地の中から玉造温泉で出会った安木節、江戸時代には北前船の風待ち港として賑わい、今は漁港+温泉+神事の岬町である美保関、現代の名園である足立美術館に一定の時間をあてると、日程には全くの余裕がない状況でした。この旅行にて感じて、心に残った思いが十分にお伝えできるか不明ですが、写真を並べつつ振り返りました。

1.出雲大社、八重垣神社、須佐神社、日御碕神社

八重垣神社拝殿 (左奥本殿):出雲大社を参拝する際に、島根県内の他の神社の先に行くのが良いか、後が良いかとの話になることがあるようです。祀られている神様の親子関係によるのですが、神社同士の関係性ではないので、午前中に上手く回れるルートを選ぶのが良いと思います。八重垣神社には、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られ、出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)の義理の父にあたることから、地元では八重垣神社へ先に、ということです。同様に、須佐神社の御祭神は、須佐能袁命 (すさのをのみこと)、稲田比売命 (いなたひめのみこと) などで、義理の父母です。また、出雲大社から北へ向かい、島根半島西端、日御碕に到着する直前に日御碕神社がありますが、姉弟の天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊がお祀りされています。
神迎の道:出雲大社の西方にある稲佐の浜から出雲大社に向かう自家用車がすれ違える程度の幅の道路で、一般の生活道の佇まいです。商店などが殆どなく落ちついた感じで、途中で気になった歯医者さんの写真を撮りました。旧暦10月の神無月(出雲では神在月)には、神議り(かみはかり、縁結びなと人々の大切なことが決められる)のために全国から八百万の神(やおろずのかみ)が集まるとされています。海から稲佐の浜に上がられた神々は、この神迎の道を通って出雲大社に向かわれます。
勢溜(せいだまり)の大鳥居(二の鳥居):9月になっても暑い日が続いていましたが、多くの方々が参拝に訪れていました。
拝殿:御本殿のある神聖な瑞垣内に入れないので、先ずはこちらの拝殿にて大国主命にニ礼四拍一礼します。
御本殿の後ろ:高さ24メートルに及ぶ大社造りの風格に加えて、瑞垣内には間違いなく神秘的な空気が流れていることを感じるエリアです。拝殿前などと比べると歩く人々は少ないようでしたが、出雲大社を再訪する機会があれば、是非とも今一度ゆっくりと時間を過ごしたいエリアだと思いました。
八足門(やつあしもん、左奥)と観祭楼:正月三ヶ日と1月下旬の特別拝観期間中、八足門が開扉されて楼門前までが解放されるとのことです。御本殿にかなり近づけることになります。

2.石見銀山

本来ですと、大森の町並みをゆっくりと散策しつつ、龍源寺間歩(坑道)を見学するところですが、今回の旅行では石見地区で余裕のある時間を確保していませんでした。一方、石見銀山世界遺産センターに立ち寄り、歴史や鉱脈、坑道の分布などについて学ぶことができました。戦国時代後期から江戸時代前期の最盛期において、日本では世界の銀の三分の一程度が採掘され、その相当量が石見銀山から産出されたものであったようです。鉱山に必須の木炭を得るのと並行し、植林を行うなど環境に配慮し自然が維持されている点が評価され、世界遺産に指定されたとのことです。

3.美保関

美保関の街並み:いくつかの温泉宿、ホテルが立ち並ぶ港町、美保関(みほのせき)は、島根半島の東端にあります。松江市から中海沿いを抜け、あるいは鳥取県境港市側から境水道大橋を渡り、境美保関線とよばれる海岸線の道路を15分程度走って到着です。松江市や境港市から少し離れた、美保湾に面した良港であり、街の喧騒から一線を画した雰囲気のある佇まいです。
青石畳通り:山が近くまで迫って居住エリアは限られていますが、温泉宿の裏手には、廻船問屋が軒を連ねた当時、積み荷を運ぶために整備された青石畳通りが残されています。
美保神社:御祭神は、三穂津姫命(みほつめのみこと)と事代主神(ことしろのみこと)。三穂津姫命は、大国主命の御后神で、五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・歌舞音曲(音楽)の守護神として知られています。事代主神は「えびす様」として良く知られています。大国主命の第一の御子神で、鯛を手にされているお姿からも海上安全・大漁満足・商売繁盛の守護神であり、また、学業・歌舞音曲(音楽)の神様でもあります。因みに、三穂津姫命と事代主命は親子ではありません。
美保神社拝殿(手前)と本殿(奥):朝の8:30と夕方の15:30頃、御祭神にお供物を奉る儀式があり、巫女舞を見ることができるとのことです。
美保関灯台:港、温泉街から5分車で走ると、島根半島東端、地蔵崎の駐車場に到着します。そこから徒歩でほんの少し進むと、眼前に真っ青な日本海が広がっています。遠くには隠岐島を望むことができる、正に大パノラマ。標高70m以上の位置からならではの風景です。美保関灯台は、1898年(明治31年)に建造、山陰最古かつ世界の歴史的灯台100選にも選ばれた由緒ある灯台で、入口の門柱なども趣があり素敵な一角になっています。

4.安木節

一宇川耕士一座:玉湯川沿いに温泉ホテル、宿が並ぶ玉造温泉は、奈良時代に開湯した最古の温泉の一つとされています。高級化粧水を凌ぐ美肌効果があることでも有名です。懐かしさを感じる由緒ある温泉街という印象でした。訪れた時期には丁度、街の一角にある温泉施設3階のホールで、夜芸が催されていました。想定外の幸運にて、生で安木節、どじょうすくい踊りを満喫しました。踊り手は一座の生え抜き(実子)の中学生で、終演後に一緒に記念撮影して貰った際には、額から顔面まで玉汗で一杯でした。

5.足立美術館

安木市の田園風景の中に突如、美術館の建物群が現れます。地元安木出身の実業家、安立全康氏が1970年(昭和45年)に設立した、横山大観の大コレクションを始めとする日本画を中心とした絵画と、借景法を用いた壮大で美しい日本庭園で有名な美術館です。個人的には、林義雄さん等のかわいい児童画も多数展示されているところ立ち止まって見入ってしまいました。美術品については、海外の資産家のもとに流出することなく、国内でこのように落ち着いて鑑賞できることは、とても有難いことだと思います。また、館内にはレストランやカフェがあり、庭園を眺めながらゆったりとした時間が過ごせるのも魅力です。

1日、2日ではとても周りきれず、今回は松江方面にも向かうことができませんでしたが、今回のように多少余裕のあるスケジュールで再訪できればと思います。宿の方のお話では、家族との繋がりも大切にされて、とても穏やかに生活されている印象でした。

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河川の恵み

台風7号による静岡地方での激しい雨により、東海道新幹線を使ったお盆休みのUターン、あるいは連休明けに出張を予定していた方々に大きな影響が出る結果となりました。静岡県には東から、富士川、安倍川、大井川、天竜川をはじめとする大小の河川があり太平洋に注いでいます。台風が通過して天候が好転したタイミングにおいても河川の水量は遅れて回復することから、鉄道の安全確保が難しい状況が続き得ることを再認識した次第です。

台風などより一時に大雨が降った際には地面の表層から大量の水が大きな河川に流れ込むことになりますが、日常の天候の下において山間部で降った雨は、小さな河川などの水路を通って直接的に大きな河川に集められるだけではなく、野山の植物あるいは動物由来、そして地中に含まれる鉱物由来の栄養素を集めながら河川に流入し、下流の動植物を育てるのに役立っています。近代は、大都市に人々が集まることで生活排水が増加し、農業地域で使用される化学肥料や工業地域からの排水も影響して、栄養過多や毒物汚染が生じている現状にも目を向ける必要がありますが、何れにしても河川水は多くの栄養素や一部汚染物質を含みつつ海に流れ込んでいるということです。

8月19日、台風7号が過ぎた土曜日に静岡県の海岸線上空から大井川、天竜川の河口を眺める機会があり、依然として土色に濁った河川水が海に流れ込む状況を確認しました。普段は川の色、海の色に違いはみられませんが、濁った水が河川から海への様々な流入物質を可視化してくれたように思っています。

8月19日の天竜川河口付近

これまでいくつかの大きな河川の河口近くを訪れましたが、どの川においても水の流れは殆ど感じられず、湖のような様相を呈していたように記憶しています。東京都心からほど近いところでは、多摩川河口付近に公園も整備された清々しいエリアがあります。

対岸に羽田空港を望む多摩川の河口には流れがほぼ見られず、豊か佇んでいます。

また、北海道豊頃町に1月中旬から2月中旬の厳寒期に訪れると、十勝川を覆いつくした氷が一旦海に流れ出し、海で砕かれて丸くなって河口に打ち戻されるジュエリーアイスが美しい光景を生み出すことも知られるようになりました。穏やかな時期を見計らって各地域の河口エリアを訪れてみると新しい発見があるかも分かりません。

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竹のある生活

猛暑日が続き、少しでも熱源を減らそうと、電灯といえば蛍光灯やLEDが主流ではありますが、家の数か所に残る白熱電球をなるべく点けないように暮らしています。白熱電球といえば、トーマス・エジソンがその商品化に向けてフィラメントの素材を探していた際に、たまたま研究室にあった扇子の竹が有力候補であることが分かり、各国から集めた多種類の竹を比較し点灯時間が最も長かった京都府八幡市の真竹が採用されていたことはよく知られています。フィラメントはその後、タングステンに取って代わられますが、竹自体は生育が大変早く、横方向にはしなやかな柔軟性があり、縦方向には割れやすい性質をもち加工が容易であることから、様々な道具の材料として、また建築用材などとしても活用されてきました。ただ最近は竹製の扇子や団扇は高級品として取扱われ、竹籠などはプラスチック製品になってしまいました。

竹林は五月連休時期に竹の子を取る場となりますが、その生産量は福岡県、鹿児島県が最も多く、熊本県、京都府と続くようです。関東平野では防風林として集落の北側に竹やぶが設けられていて、竹が道具の材料や建築用材として利用されていた頃までは複数の役割を果たしてきましたが、繁殖力が大きい分、維持に手間が掛かる一面もあり、少しずつ減ってきました。とは言え、今でも電車や車で各地を出歩いていると、各地に小規模な竹林が残されていることに気づくこともあり、竹やぶ、あるいは竹そのものの特有の姿形をみると少し気持ちが和みます。東京都目黒区に「すずめのお宿緑地公園」があり、その一角が竹林になっています。

すずめのお宿緑地公園にある竹林は広くはありませんが、小径には分かれ道もあり、竹林の趣を十分に楽しむことができます。

竹林では生い茂る葉が日光を遮るため、中に入るとこの季節でも暑さが緩みます。愛犬を連れた散歩人がベンチに腰掛けて一休みしている光景もみられました。

大きな竹は強い日差しを和らげてくれます。地面まで日が届かなくなることから、竹林では他の植物が生育できず、竹のみになってしまうのも特徴です。

7月といえば、京都では夏の訪れを知らせる祇園祭が開催され、観光客を含む多くの人達で賑わっていました。山鉾の鉾に聳える真木(しんぎ)は、高さや真っ直ぐに伸びる形状から、竹でできているに違いないと思いつつ調べてみました。その結果、(考えてみると良くしなる竹材1本では、空に伸びるあの高さを真っ直ぐに維持できないことが分かりますが)真木は三段になっていて、下二段は檜や欅、そして上段は竹で作られているとのことです。他にも、竹は神事でしばしば用いられますが、京都の銘竹問屋さんによると、「笹の葉のついた竹は、神様が乗り移りやすく、神様の言葉を伝えるものとして扱われてきた」とのことです。生長が早く、常に緑色(竹はイネ科の常緑多年性です)、節目正しく、真竹の場合は120年に1回しか花が咲かず(全国で一斉に開花後は枯れ、再び120年間の周期に戻るそうで)永遠と考えられたことが背景になっています。

函谷(かんこ)鉾。コロナ禍がようやく一段落し、今年の祇園祭は多くの観光客で賑わっていました。

常緑ですので、竹の葉に雪に覆われている姿を実際に、あるいは写真などで見た記憶をお持ちの方も多いのではないでしょうか。酷暑の日々が続きますが、時には冬の竹林の風景を想像し、あるいは近くに竹の公園などがあれば涼みにゆきつつ、何とか元気でこの夏も乗り越えてゆきましょう。

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沖縄そして日本国内にある各国の独自性の再考

6月9日、中国の習近平国家主席が、琉球(沖縄)と中国の古くからの交流に触れた発言について報じられました。本州で生まれ育った私自身も含め、「日本は島国で他国との領土争いは他国のこと」との認識で育った日本人が多いのではないでしょうか。しかし、各地域におけるこれまでの諸事情を含めて歴史と称するならば、歴史如何によっては、今の時代に琉球王朝、あるいはアイヌ民族の国家が存在していた可能性について思い致すことで、現代の日本全体が置かれている立場、あるいは自分達の身の回りを再考する端緒にすることができるように思います。

北海道や沖縄に限らず、各都府県は、(国境は現在とは異なる場合もありますが)元々は独立した地域として、国を形成していました。(余談ですが、何気なく四国地方と呼んでいるしこくが何故四国かということです。次の話は四国が云々ということではなく)自領土の民を守るという大義の下、必要とあれば隣国を盗りに行き領有してきたことも伝えられています。現代の世界における戦争と異なるのは、日本国内においては取敢えず共通の言葉を使い、ある程度の共同体的な認識があったことでしょうか。従って、鎌倉から戦国時代にかけては、現代的には国内における紛争という呼び方が適切なのかも分かりません。

沖縄が元々、日本と深い交流を続けていたと同時に、中国も同様に重要な交流相手であったことに疑いの余地はありません。本ブログを開始した2回目の記事(20197月)でも取り上げています。https://regionalfeature.com/nahamuseum

この中での最も大切なポイントは、「沖縄の人達は、いかに自分達が個性のある存在であるかを内面に持ち続け、対外的にはそれをソフトに表出する、とても強い意志を持った県民である」。日本は元々、多くの国の集まりでした。各々の特色は、お祭り、地方芸能、あるいは言葉の訛りなど様々な形で残っています。もうすぐ夏季休暇、お盆の季節になりますが、ご結婚された夫婦の帰省先が離れているケースも少なくありません。このブログでは地域の独自性を表現していますが、日本国内にある各国の独自性について再考し、自分自身がその形の無いものと、どのように付き合ってゆくか、ほんの一時でも思い致すのも良いものではないでしょうか。

 

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またあしたねぇーっ

新型コロナウイルス感染症は、感染症法上において、5月8日から5類感染症(定点把握分※)になりました。これに伴い、マスク着用など感染症対策についても個人の主体的な選択が尊重されるようになり、公共交通機関内外など場所を問わず、日に日に着用する人が減ってきているように感じています。(※風疹、百日咳、梅毒など23の感染症は全数把握分に分類されている。)

そのような状況の中、5月中旬の晴れた午後に住宅街を歩いていると、幼稚園帰りのお子さんの大きな声が聞こえてきました。自転車後ろの補助椅子に座った姿勢から、お腹一杯に力を入れ、少し仰け反る姿勢から前に振りかぶって、「またあしたねぇーっ」と前方を少しずつ自分の家に向かって離れてゆく友達に何度も絶叫しています。当該ウイルスの病原性が高く、その正体が全く分からなかった当初から今年の春まで、このような風景は殆ど見られなくなっていたと思います。無心にただただ現時点が楽しくて仕方がなく、明日も同じように無条件に楽しい時間が訪れることを疑ってやまない小さな子供たちの叫びは、多分、日本全国共通なのではないでしょうか。この風景が戻ってきたことを感じられたこの5月は、本当に救われる気持ちになりました。

今回の新型コロナ禍を振り返る時、丁度入学時期から卒業までの貴重な3年間が丸々当たってしまった中学、高校生たちが犠牲者としてクローズアップされる機会が多いように思います。就学前の小さな子供たちの近頃の元気な姿を見ると、例外ではないことに気づきます。更に、仕事を終えて悠々自適な生活を目指し、あるいは元気を振り絞ってコミュニティに出かけることを楽しみにしていた高齢者にとっても貴重な3年間であったことでしょう。

3年前、突然に全世界の人々の生命、健康、生活、そして経済に大きな影響を与えた新型コロナ感染症、誰もがその対応に苦慮して何とか乗り越えてきました。政治や行政の対応においてもベストが尽くされたものと思います。しかしながら、次におなじような現象が起こった際には、上述の、特に影響が大きい世代の方々への影響について、それを最小限に留める対応ができるか否かは、その責任を負うことのできる現役世代の英知に掛かっているといっても過言ではありません。感染症に限ったことではなく、各々がその専門分野において社会的責務を負っている組織・機関、それらの構成人員である一人ひとりが、人々の暮らしを安寧にするために日々真剣に職務を全うすることが大切であることを改めて認識したいと思います。

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地方自治の根幹:統一地方選挙

今年4月、4年に1回の統一地方選挙が行われました。告示日にはくじ引きにより届け出順が決まります。ポスター掲示板は告示日前、公共施設の前のフェンスなどに準備されます。板に書かれた番号、届出順の振り方については、決められた一定のルールはないようですが、多くの地域において、特定の候補者や政党が有利、不利にならないように1番から順序よく並んでいることは少なくなりました。また、同じ自治体内の掲示板全ての番号の並び順が同じにならないよう、つまり目立つ位置に、目立たない位置に偏りができないよう、より公平性に配慮した工夫がなされている場合もあるようです。

告示日の午後には概ね全ての候補者のポスターが並んでいます。支援者が順次貼ってゆきます。昔ながらに刷毛で糊づけしているイメージで思っていましたが、今日では耐水性のシールになっているようです。以前の選挙期間を振り返っても、確かに大雨で選挙ポスターが剥がれてしまっているなどという風景は見ませんよね。

多くの自治体において、投票日の当日、あるいは翌日に長、あるいは議員が決まりました。地方自治制度について、総務省のホームページをみると、各地方公共団体は自らの判断と責任により、地域の実情に沿った行政を展開していくことが大いに期待されていること、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担い、地域の諸課題に取り組むこと、などと記載されています。現代は、各地域の地方自治活動、暮らしやすさにより住民数が増減する時代ですので、今回の選挙で選ばれた各自治体の長、議員の皆さまには、これからの4年間、是非とも活発にご尽力頂きたいと思います。

昨日のニュースにて、東京世田谷区にて1票差で落選した候補者の方が異議申し立てをされたとの報道がなされていました。過去には他の自治体にて、選挙管理委員会が投票用紙を再度精査し、当選者が入れ替わった例も複数あったようです。正しく選挙されることがこれからの4年間の根幹であり、行方を見守りたいと思います。

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都会のオアシス

ロンドンのハイドパーク、ニューヨークのセントラルパークなど、海外の大都市には有名な公園が数多くあります。国内にも各都市を代表する公園、緑地があり、東京では皇居や明治神宮、大阪では大阪城公園など、お城や神社、仏閣を中心にしたものが知られているように思います。一方、近年はお花畑を中心に、季節になるとテレビでも紹介され、沢山の人達が訪れる名所も増えてきました。そのような中で、日本に居ながらにして海外の公園にいるような雰囲気を抱くことができる公園の代表格で、日本で最初の西洋式公園である日比谷公園を訪れました。

公園中心部に配された大噴水と2つの大花壇が、広々とした西洋風公園を特徴づけています。
4月上旬にはネモフィラや向こうに見えるチューリップが咲き誇っていました。

霞が関の官庁街や日比谷ミッドタウンに隣接しながら、16万平方メートルの敷地の中には、日本庭園を感じさせる心字池や雲形池、大音楽堂、小音楽堂、日比谷公会堂など様々な施設も配置され、懐深さも十分に感じられるオアシスになっています。

「鶴の噴水」が中央に配置された雲形池から、公園の対角方面にあるミッドタウンのビルを望みます。西洋風の公園中央の雰囲気とは少し異なり、この公園の懐深さを感じさせます。
旧日比谷公園事務所。
日比谷公会堂など、様々な施設があります。
小音楽堂で定期的に開催されている、警視庁音楽隊による「水曜コンサート」。

オフィス街の中に立地しているため、お昼休みにはビジネスマンが食事に訪れ、散策している姿が少し増えるものの、一日を通して落ち着いた雰囲気の、正にオアシスと呼ぶのに相応しい公園です。